失恋とその受け入れ方
こんにちは。初めて質問させていただきます。
(ご覧いただき、ありがとうございます!)
先日、3年半ほどお付き合いした彼女に別れを告げられました。
突然に理由なく別れを告げられたので正直受け入れられず、今も胸が苦しいです。
私は、その相手とずっと一緒に…と思っていたので「願わくば考え直してほしい」と伝えていますが、届いているかどうか…。
ハスノハにて問答を拝見して
・勇気を出して伝えてくれたことを尊重
・時間が解決してくれる
・没頭できるものを見つける
・相手には相手の人生(事情)がある
・ご縁がなかっただけ
・お互いが幸せになるため
・相手の幸せを願う
・感謝
・(この経験を)自らの糧とする
・新しい恋愛が特効薬
…といった考えが大事だと捉えております。
頭でわかってはいる、わかってはいる「つもり」なのですが、ここまで唐突に別れを切り出されてしまうと
なかなか受け入れられず、いわば悔しさに似たものも込み上げてきます。
(もちろん、反省しなければならない点もあります)
3年半という時間を共に過ごしていた中で結婚についても話す機会がありましたが
先送りにしてしまっていた(素直になるのが怖かった)ということも原因の一つかもしれません。
人生2回目の失恋です。世の中のみなさんはこういった辛い経験を乗り越えて今を生きていらっしゃるのでしょう。
いまだに気持ちを整理しきれていない自分がいるのも事実です。
そこでお伺いしたいのは
・この現実を受け入れるための考え方
・(失恋に限らず)上手くいかないときの考え方
・モヤモヤした自分に喝を入れる考え方
をご教示いただけないでしょうか。
恥ずかしながらこのような心情につき、乱文となっておりますが
アドバイスいただきますよう、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
別れが来るのは当たり前
・この現実を受け入れるための考え方
・(失恋に限らず)上手くいかないときの考え方
・モヤモヤした自分に喝を入れる考え方
とのこと。
まず大前提として仏教は考え方で解決するようなものではないということです。
逆に言えば考え方でどうこうできたら苦労しないということです。根本解決するには考え方ではどうにもならないのです。
まず。人生はいつでも突然。だから災害や事故が起きる。予想していても、その時に起こることは誰でも人生初です。今私が答えているこの時間も人生初めての「今」です。
出会うということは別れるということ。必ずどこかで別れを経験することが確定しているのです。それがたまたま3年半であったということです。結婚した夫婦であっても必ず別れる離婚という別れ方もあるし死別という別れ方もある。その覚悟が必要なのです。
仏教は真理を知る道です。人の力ではどうにもできない流れの中で我々は生かされているのです。
ですから、自分の都合の通りにならなくて当たり前、都合を前に出してその通りにしたいとジタバタするのはエゴの働きなのです。そして、さまざまなモヤモヤした気持ちが出てくるのも自然の摂理、それを自分の力でどうにかしようとしても、より強調されて苦しくなるだけです。手をつけずそっとしておく。現状を受け入れる。それだけです。面白いテレビでも見ていたら忘れている自分にも気づくでしょう。
そんなもんなんです。手をつけなきゃ消えて無くなりますから、安心して仏法の働きにまかせましょう。
真理に任せて生きていければ必ず救われますから、安心してください。
質問者からのお礼
邦元さま
ご回答いただきありがとうございます。
「自分の都合の通りにならなくて当たり前」
ハッとさせられました。
この気持ち、おそらく忘れることはできませんが
少しずつでもそっとしておけるように、新たなモノ、コトに目を向けて
生かされている感謝を忘れずに「今」を生きていきます。
ありがとうございました。