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涅槃と菩提心を求めず。仏様との向き合い方

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

悩みのループに入ったときに、今まで頂戴した回答を読み直しています。
ありがとうございます。

さて、今回大げさなタイトルになりましたが、仏様と向き合う心持ちがわからなくなりご指導を賜りたく投稿いたしました。

仏教の最終目的が成仏・涅槃に入ること、また望ましいありかたとして菩提心を起こして日々を送ることだとしたら、私はそれを望んでいない、なのに写経や読経をするのは方向が違うのか考えてしまいます。

普段、自宅のお仏壇にお経をあげたり、近隣のお寺の写経会に参加しております。
そのお寺での住職様でない方の法話で「仏教的な幸せは涅槃に入ること。表現が難しいけれどお星さまになることかな。寂しく思うかもしれないけれど、それが一番の幸せ」というようなお話でした。

私は仏様になったことがないので、そこまで高尚なことはピンときません。来世があるとしたら人間に生まれ変わって、今叶わなかったことが満たされていたいです。輪廻から出られないことがそれほど不幸なのか?と思います。

菩提心につきまして。こちらの僧侶の方々や写経に伺っているご住職様は菩提心があるなあと驚きます。相手の苦痛を減らそうというお心がひしひしと感じ取れます。ゆるがぬ信仰心と強固な信念に基づいているので、悩んでいる方に寄り添えるのだなあと思います。

翻って私は人並みの親切心はあると思いますが、共感しすぎて痛い目にあうことが多く、拠り所(僧侶の方にとっての信仰心)とするものがありません。最近はやりのバウンダリーをはっきりさせて、余計なことに首をつっこむのをやめよう、自分がしっかりしていないので、他人のことはもう放っておこうと決心したばかりです。

ただ、お寺通いやお経をあげることは止めたくありません。記憶のある時からなぜか神社仏閣が好きです。

仏教的に見て望ましい行い・最終目標から逸れた心を持ちながら、どのように仏様と向き合ったら良いか、是非ご指導くださいませ。

2023年8月26日 23:41

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

不純を恐れず

ご相談拝読しました。とても真摯な思いに胸を打たれるものがありました。

結論から言えば、今後ともどうぞお寺通いや写経・読経を続けてください。仏教はあなたのような人を排除する教えではありません。

もしも、純粋なもの・本来的なものだけが、仏教本来の恩恵にあずかれるならば、いったいどれだけの人が残るでしょうか。僧侶といえど怪しいです。

あなたの目からは立派に見える僧侶も人間です。あなたと同じ様に不安や葛藤もありますし、生活などの現実問題も抱えています。

それでも、人間誰もが世間的なものだけでは躓く時、間に合わなくなるとき、救われない時があるでしょう。

その時、世間的な在り方、不純なものが転ぜられていく道が開ける。最初から包まれていたことに気づかされる。

でもその前に離れてしまってはそれにも気づけない。

だからどうぞご安心を。引き続きご縁をいただいてください。

2023年8月27日 7:41
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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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菩提道次第集義

仏教の目的は、確かに菩提心を育んで、涅槃へと至ることになりますが、最初からそれを明確に意識して取り組むことなど、もちろん私たち凡夫においては難しいものであります。

仏教を体系的に学び進めていく中で、少しずつ自分の中で確立させていくところとなります。

その学びに役立つのは、道次第(ラムリム)となり、アティーシャ大師(菩提道灯論)以来の伝統となります。

やがて、菩提道次第論は、チベットのツォンカパ大師が大成されるところとなります。

下記のように簡単にわかりやすく要約されているものもございます。

菩提道次第集義
http://media.dalailama.com/Japanese/texts/concise-stages-for-the-path-to-englightenment-JP.pdf

まずこちらから学ばれるのも。

合掌

2023年8月27日 12:49
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

日曜日お休みもしくはお忙しい折に、すぐにお返事をくださりありがとうございます。
・吉武文法 様

「不純を恐れず」というお言葉に感じ入りました。まさに欲しかった言葉かもしれません。不純な心でお参りは失礼かと悩んでおりましたが、仏様は「それほどケツの穴は小さくない」ですね。(お寺のご住職様の口癖です^^)。

僧侶の方々は私から見ると(失礼な表現ですが)立派に見えます。俗世のお悩みや心を乱されても軸・芯に戻るのが速く思われます。もちろんお心の中まではわかりません。今回は安心感をいただき、自分と僧侶の方々を比べず俗人なりにお参りを続けて行こうと思えました。

大事なご指摘。道が開けたり最初から包まれていたことに気づかされる前に、「離れてしまっては気づけない。」今後も折々に思案しつつ、細く長く仏様とつながっていけそうです。ありがとうございました。

・Eishun Kawaguchi 様

私はいきなり難しいことを考えてしまったのですね。無謀でした。

お勧めいただきましたサイトを拝見しました。
解脱(輪廻を離れる)・菩提心・忍耐などなど表面的な字面は追えますが、本当に理解するのは難しいです。先生にご指導いただくのが間違いを犯さず良いのでしょうね。

以下、軽く目を通した限り印象に残ったこと。
心のありかたをひたすらに鍛錬・訓練すること。無我。同事など。
熟考すること。苦の因を考える。因縁を考える。世の中から苦を除くにはどうするべきか。
悪をなさず善をなす。

今はわからないなりに簡単なことから実践したり、学んでいけたら新しい視点から世の中を見ることができるかもしれません。まずは菩提道次第集義をしっかりと読んでみます。ありがとうございました。

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