過去の懺悔
中学生の時、虐められていました。
他のクラスの同じく虐められていた人と友人になりました。
お互い虐められていたことで意気投合し、自殺したいね、と、よく話ししてました。
ある日、私は理科室の掃除当番で普段は鍵の掛けられている劇薬の入った扉が空いているのをみつけ、薬を盗みました。
そして、友人とどうしようか、と、話しました。そして、友人はその薬を飲み、私は飲まなかったのです。次の日彼女は、学校を休みました。翌々日は、一緒に登校しました。
彼女も私も、薬のこと休んだことには一切触れませんでした。
仏様の導きだったのだと思います。彼女が死ななくて良かったと、今は思っています。
当時は、自殺幇助罪なんて言葉も知らないほどに幼かった私たちでした。
その事があったことを、ずっと私は忘れていて、最近ふと思い出したのです。そのことについて。今、彼女がどうしてるのかは頼りも絶えて何も分かりませんが、この罪の重さを思い出し、彼女の無事をただただご神仏にありがとうございましたと伝えることしか出来ず、それだけしか出来ない自分に不甲斐なさを感じ、また、彼女に謝りたくても謝れない今の状況に、悲しみを覚えています。
仏様は、こんな私でも許してくれるのでしょうか。また、彼女は、許してくれているのか、仏様に縋って聞くしかないのです。
その懺悔を聞いて頂きたく、こちらに胸の内を明かしました。ありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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受け止めさせていただきました
こんにちは。そのようなことがあったのですね。当時はそうするしか思いつかなかった、また状況がそのような結果を産んだのでしょうね。
死ななかった、としても何らか後遺症が残ったかも知れません。逆に劇薬ではなかったために、その日瓶を手に取れたのかも知れません。
いずれにせよ、今に至り、こうして懺悔されたことは、私も引き受けさせていただきます。仏様は、あなた方お二人だけでなく、その棚を管理している先生もお救いになった。その学校にいたみなさんをお救いになった。そう感じます。
一つ、お伝えしたいことは。「仏様は、我々を許す・許さない関係ではない」ということです。もちろん「苦しかったら劇薬を飲めば良いよ」とはおっしゃいません。けれど、「それほどまでに、この世というのは辛いですよね」ということは受け止めてくださると思っています。
私は浄土宗ですが、その開祖である法然上人のエピソードに、「遊女とのお話」があります。上人が流罪にされた時、その先で遊女と出会った。「こんな身で生きていては、とても死んだ後に極楽には行かれませんよね」と尋ねられて、「もし辞められるのであれば辞めなさい。でも、それでしか生きていけないならば、そのままで南無阿弥陀仏をお称えしなさい。そうすれば大丈夫ですよ」と諭されたそうです。
私からは、「ときどきでも、あなたが彼女のことを思い出し、その幸せを祈って差し上げることができれば、命ながらえた甲斐があったと、仏様もお喜びになるでしょう」とお伝えさせていただきます。
心から告白なさって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたが過去なさったことを後悔し懺悔なさっておられることを読ませて頂きました。仏様も神様もあなたのそんな思いに寄り添って下さます。優しく受けとめて下さいます。
あなたのその思いをどうか仏様や神様やあなたのご先祖様に心から告白なさり心から反省し懺悔なさって下さいね。そしてそのことを心から謝りましょう。その子にも心の中でも謝りましょう。そしてその子が生きておられることを心から感謝なさって下さいね。あなたの思いを全て仏様や神様やご先祖様に届いていくでしょう。そしてあなたをお許しなさって下さいますからね。
あなたがこれからも仏様や神様やご先祖様にありのままお伝えなさり善き考えや言葉や行いを心がけながら健やかに毎日を生き抜いていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。至心合掌
質問者からのお礼
佐藤良文様
ありがとうございます。
法然上人様のお話、とても有難く拝見いたしました。彼女だけでなく、学校が救われたというお言葉、本当にそうだったと、胸打たれました。彼女の幸せを願いつつ、これからも生きていこうと思います。ありがとうございました。
KousyoKuuyoAzuma様
ありがとうございます。
ご神仏の寄り添いに感謝いたします。
貴方様のお言葉に、彼女と彼女の家族が悲しみに包まれなくてよかったと、感じました。
これからも、彼女の幸せを祈りたいと思います。ありがとうございました。