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自分の罪との向き合い方について

こめこめ男性/30代
回答数回答 1
有り難し有り難し 24

私は罪を犯してしまいました。自身の仕事柄でやってはいけない罪です。

今はまだ明るみになっていません。しかしいずれ明るみになると思います。その際には、私は自身の社会的地位を失い、世間から多くの批判を浴びることになると思います。

毎日、罪を犯してしまったことを後悔しています。あのとき、なぜあんなことをしてしまったのか、日頃のストレスなのか自己の欲求を抑えきれなかったのか、そんなことばかり考えてしまいます。

もういっそのこと死んでしまおうとすら考えました。首を吊ろうとしましたが、うまくいきませんでした。

毎日が息苦しく辛いです。できればこの辛さから逃れたいと考える自分がいます。本当は向き合っていかないといけない、自分の犯したことは自分で償っていかなければいけないとわかっています。

しかし、やはり自分が可愛いのでしょう、自分の心配ばかりしてしまいます。そして家族に迷惑をかけてしまうこと、家族を悲しませ私のせいで生きづらくしてしまうことをただただ後悔してしまいます。

自分の罪との向き合い方がわかりません。罪を償うためにも生きていかなければならないことは分かるのですが、後悔の念で死にたいと毎日考えてしまいます。

私はこれからどうしたらよいのでしょうか。

2023年9月6日 9:55
こめこめ男性/30代
質問数:
1
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きて、ご自分に「出来る事」をなさってください

(あえて少し厳しい口調で申し上げます。心してお読みくださいませ。)
こめこめさん。人はそれぞれの「業」を背負って生きております。その業のせいで人は罪を犯してしまうのです。たいていの人は、たいていの場合、罪を犯したくて罪を犯すのではなく、罪を犯そうと意図して罪を犯すのでもなく、その者の業が内側に働いてその者に罪を犯させるのです。もちろんだからといって罪を犯した者に「責任」がないはずもなく、むしろどれだけ避けたとしても、どこまで逃げたとしても、責任は離れず付き纏うでしょう。その証拠に、現に今、苦しんでおられるではありませんか。いずれにしましても、何であれ犯した罪は償ってゆくほかありません。過ぎてしまった時を戻すことは出来ませんし、やってしまった事を無かった事にすることも出来ません。“取り返しのつかない事をしてしまった”、当たり前です。やってしまった事はなんだって、(悪行も善行も)取り返しのつくはずはございません。それでもまだ、あなたには何か出来る事があるはずです。もとより出来ない事は、いくら考えても出来ません。出来る事を、精一杯なさってください。これからも一所懸命に生きて、その時、その場で、ご自分の出来る事、なすべき事をしてゆく。それ以外によい道などございますまい。この先、苦しい事もあるでしょう。でも、それは自分自身のした事に苦しむだけです。他人からされた事に苦しむわけではございません。もしもあなたの近くにあなたの行い(罪)のせいで苦しむ方がおられるなら、その方の苦しみが少しでも軽くなるよう願ってください。仰せの通り、あなたにはこの先、社会的な地位を失い、世間から批判を浴び、ご家族を傷つけてしまうようなこともあるのかもしれません。それでもどうか、生きて、ご自身に出来る事をなさってください。何をすべきか、何が出来るかを懸命に考え、必死に見極めてください。そうすればご自分のなすべき事が見えて来るはずです。こめこめさん。あなたは、この苦境から逃げるべきではありません。むしろこれを通じて、人間の「苦しみ」というものがそもそも何なのか、どういうものなのかという事を深く理解すべきだと思います。その「苦の理解」こそが、ゆくゆく、あなたを含むあなたの周囲の人たちを幸いな方向へ運ぶようはたらくはずです。諦めなければ、いつか必ず、ゆるされる瞬間も訪れるものと、拙僧は思います。

そわか合掌

2023年9月6日 11:10
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有り難し
おきもち

個別相談可能
「ただ、祈るばかり。」 抜苦与楽こそ、お坊さんの仕事。 それが拙僧のささやかな信条です。 人はそれぞれ心に哀しみを抱いて、 それでも懸命に生きている。 微力ながら、仏の智慧を借り、 その哀しみにそっと寄り添っていけたら と思っております。 — 横浜の片隅にて「そわかの縁側」を主宰 サッカー人生を歩む息子の父 — ・幼少期に日曜学校にて宗教心の萌芽 ・学生時代から真理(の探求)に関心を持つ ・25歳キャリアや経済力を捨てて仏門へ ・約8年かけ家族の鬱病を一緒に乗り越える ・自ら道場(瞑想スタジオ)を開く ・瞑想指導、伝道説法の日々を送る ・コロナ禍に瞑想スタジオを失う ・オンラインレッスンへ移行 ・縁あってhasunoha回答僧となる ・リアルな場として「縁側」を開く ・道友たちと静かに坐り、茶話を楽しむ ・自らの経験した様々な“哀しみ”に気づく ・人の哀しみに寄り添う仏道者へ — どのようなことでもご相談ください。八方塞がりのように感じるときほど、案外近くに突破口があるかもしれません。 そわか合掌
今、大切なものや大切な存在を失って哀しみを抱えている、日々どうにか生きているけれど生きている感覚がない、これから先うまく生きていける気がしない、そのようなつらく苦しいとき、ふと頼っていただけましたら、有り難うございます。 残念ながら、拙僧には、あなたの哀しみを消し去ることは出来ません。でも、誠心誠意、あなたのそのお心にそっと寄り添い、ただ静かに祈ることは出来ると思います。 哀しみ(喪失感)は、大切な家族や友人、愛犬・愛猫との別れだけでなく、失業や自身の健康(若さ)など、かけがえのない存在や大切なものを失った際に生じるものです。大切なものを失ったときの感じ方は人それぞれ。小さなことと思って放っておくと、元気(生のエネルギー)を必要以上に消耗してしまうことにもなりかねません。ご自身の哀しみに気づいたときには、誰かに助けを求めてください。hasunohaも、使って使って使い倒してください。仏の掌は、必ずや、あなたの心を救ってくださるはずです。 そわか合掌

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