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自分の罪との向き合い方について

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有り難し有り難し 23

私は罪を犯してしまいました。自身の仕事柄でやってはいけない罪です。

今はまだ明るみになっていません。しかしいずれ明るみになると思います。その際には、私は自身の社会的地位を失い、世間から多くの批判を浴びることになると思います。

毎日、罪を犯してしまったことを後悔しています。あのとき、なぜあんなことをしてしまったのか、日頃のストレスなのか自己の欲求を抑えきれなかったのか、そんなことばかり考えてしまいます。

もういっそのこと死んでしまおうとすら考えました。首を吊ろうとしましたが、うまくいきませんでした。

毎日が息苦しく辛いです。できればこの辛さから逃れたいと考える自分がいます。本当は向き合っていかないといけない、自分の犯したことは自分で償っていかなければいけないとわかっています。

しかし、やはり自分が可愛いのでしょう、自分の心配ばかりしてしまいます。そして家族に迷惑をかけてしまうこと、家族を悲しませ私のせいで生きづらくしてしまうことをただただ後悔してしまいます。

自分の罪との向き合い方がわかりません。罪を償うためにも生きていかなければならないことは分かるのですが、後悔の念で死にたいと毎日考えてしまいます。

私はこれからどうしたらよいのでしょうか。

2023年9月6日 9:55

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きて、ご自分に「出来る事」をなさってください

(あえて少し厳しい口調で申し上げます。心してお読みくださいませ。)
こめこめさん。人はそれぞれの「業」を背負って生きております。その業のせいで人は罪を犯してしまうのです。たいていの人は、たいていの場合、罪を犯したくて罪を犯すのではなく、罪を犯そうと意図して罪を犯すのでもなく、その者の業が内側に働いてその者に罪を犯させるのです。もちろんだからといって罪を犯した者に「責任」がないはずもなく、むしろどれだけ避けたとしても、どこまで逃げたとしても、責任は離れず付き纏うでしょう。その証拠に、現に今、苦しんでおられるではありませんか。いずれにしましても、何であれ犯した罪は償ってゆくほかありません。過ぎてしまった時を戻すことは出来ませんし、やってしまった事を無かった事にすることも出来ません。“取り返しのつかない事をしてしまった”、当たり前です。やってしまった事はなんだって、(悪行も善行も)取り返しのつくはずはございません。それでもまだ、あなたには何か出来る事があるはずです。もとより出来ない事は、いくら考えても出来ません。出来る事を、精一杯なさってください。これからも一所懸命に生きて、その時、その場で、ご自分の出来る事、なすべき事をしてゆく。それ以外によい道などございますまい。この先、苦しい事もあるでしょう。でも、それは自分自身のした事に苦しむだけです。他人からされた事に苦しむわけではございません。もしもあなたの近くにあなたの行い(罪)のせいで苦しむ方がおられるなら、その方の苦しみが少しでも軽くなるよう願ってください。仰せの通り、あなたにはこの先、社会的な地位を失い、世間から批判を浴び、ご家族を傷つけてしまうようなこともあるのかもしれません。それでもどうか、生きて、ご自身に出来る事をなさってください。何をすべきか、何が出来るかを懸命に考え、必死に見極めてください。そうすればご自分のなすべき事が見えて来るはずです。こめこめさん。あなたは、この苦境から逃げるべきではありません。むしろこれを通じて、人間の「苦しみ」というものがそもそも何なのか、どういうものなのかという事を深く理解すべきだと思います。その「苦の理解」こそが、ゆくゆく、あなたを含むあなたの周囲の人たちを幸いな方向へ運ぶようはたらくはずです。諦めなければ、いつか必ず、ゆるされる瞬間も訪れるものと、拙僧は思います。

そわか合掌

2023年9月6日 11:10
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有り難し
おきもち

個別相談可能
「抜苦与楽こそ“お坊さん”の仕事」 これは拙僧のささやかな信条です。「仏道修行」という旅のなかで得られた仏法の妙味を、御縁をいただいた皆さまと分かち合い、喜び合えますことなどは、もう本当に本当に有り難く、心の底から嬉しくもなり、おのが修行の励みともなるものであります。一つ一つのよき御縁に感謝をし、命のままこの道を行こうと思っております。是非、ともに仏法を探究いたしましょう。そわか合掌 ※唐突に安居(あんご:瞑想修行・自己対話に集中する期間ほどの意)に入ってしまう時などもあり、あまり沢山の回答は出来ないかもしれません。ですが、ご回答出来る時には全身全霊を尽くし、御相談者さまのお心に、たとえわずかでも仏法の妙薬が浸透し、またその妙味を味わっていただけますよう精一杯心を砕き言葉を紡がせていただきます。 ●その他、拙僧文章(ぶんしょう)について… ・心の支えとしている仏教書は、池田魯参先生の「『摩訶史観』を読む」と「天台小止観」 ・瞑想スタジオ「そわか」主宰(現在はオンライン中心) ・瞑想の先生、人生コンサルタント ・サッカー好きな一児(中2)の父
どのようなお悩み事でも、安心して打ち明けてください。つまらぬ正論や説教臭いだけの綺麗事は申し上げません。人がどのように理屈をこねようと、すべての物事は❝あるがまま❞。 現在、八方塞がりで藁をも掴もうというご心境の方、仏法(仏教)に救いをお求めの方は、是非いつでも真剣にご相談くださいませ。その苦しみこそ、あなたを導くほとけの慈悲なのですから。 そわか再拝

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