hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分の罪との向き合い方について

回答数回答 1
有り難し有り難し 24

私は罪を犯してしまいました。自身の仕事柄でやってはいけない罪です。

今はまだ明るみになっていません。しかしいずれ明るみになると思います。その際には、私は自身の社会的地位を失い、世間から多くの批判を浴びることになると思います。

毎日、罪を犯してしまったことを後悔しています。あのとき、なぜあんなことをしてしまったのか、日頃のストレスなのか自己の欲求を抑えきれなかったのか、そんなことばかり考えてしまいます。

もういっそのこと死んでしまおうとすら考えました。首を吊ろうとしましたが、うまくいきませんでした。

毎日が息苦しく辛いです。できればこの辛さから逃れたいと考える自分がいます。本当は向き合っていかないといけない、自分の犯したことは自分で償っていかなければいけないとわかっています。

しかし、やはり自分が可愛いのでしょう、自分の心配ばかりしてしまいます。そして家族に迷惑をかけてしまうこと、家族を悲しませ私のせいで生きづらくしてしまうことをただただ後悔してしまいます。

自分の罪との向き合い方がわかりません。罪を償うためにも生きていかなければならないことは分かるのですが、後悔の念で死にたいと毎日考えてしまいます。

私はこれからどうしたらよいのでしょうか。

2023年9月6日 9:55
この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きて、ご自分に「出来る事」をなさってください

(あえて少し厳しい口調で申し上げます。心してお読みくださいませ。)
こめこめさん。人はそれぞれの「業」を背負って生きております。その業のせいで人は罪を犯してしまうのです。たいていの人は、たいていの場合、罪を犯したくて罪を犯すのではなく、罪を犯そうと意図して罪を犯すのでもなく、その者の業が内側に働いてその者に罪を犯させるのです。もちろんだからといって罪を犯した者に「責任」がないはずもなく、むしろどれだけ避けたとしても、どこまで逃げたとしても、責任は離れず付き纏うでしょう。その証拠に、現に今、苦しんでおられるではありませんか。いずれにしましても、何であれ犯した罪は償ってゆくほかありません。過ぎてしまった時を戻すことは出来ませんし、やってしまった事を無かった事にすることも出来ません。“取り返しのつかない事をしてしまった”、当たり前です。やってしまった事はなんだって、(悪行も善行も)取り返しのつくはずはございません。それでもまだ、あなたには何か出来る事があるはずです。もとより出来ない事は、いくら考えても出来ません。出来る事を、精一杯なさってください。これからも一所懸命に生きて、その時、その場で、ご自分の出来る事、なすべき事をしてゆく。それ以外によい道などございますまい。この先、苦しい事もあるでしょう。でも、それは自分自身のした事に苦しむだけです。他人からされた事に苦しむわけではございません。もしもあなたの近くにあなたの行い(罪)のせいで苦しむ方がおられるなら、その方の苦しみが少しでも軽くなるよう願ってください。仰せの通り、あなたにはこの先、社会的な地位を失い、世間から批判を浴び、ご家族を傷つけてしまうようなこともあるのかもしれません。それでもどうか、生きて、ご自身に出来る事をなさってください。何をすべきか、何が出来るかを懸命に考え、必死に見極めてください。そうすればご自分のなすべき事が見えて来るはずです。こめこめさん。あなたは、この苦境から逃げるべきではありません。むしろこれを通じて、人間の「苦しみ」というものがそもそも何なのか、どういうものなのかという事を深く理解すべきだと思います。その「苦の理解」こそが、ゆくゆく、あなたを含むあなたの周囲の人たちを幸いな方向へ運ぶようはたらくはずです。諦めなければ、いつか必ず、ゆるされる瞬間も訪れるものと、拙僧は思います。

そわか合掌

2023年9月6日 11:10
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
「抜苦与楽こそ“お坊さん”の仕事」  これは拙僧のささやかな信条です。 現在は、横浜の片隅にて、 静かに坐る瞑想と対話の場「そわかの縁側」をひらいています。 仏道修行という旅のなかで味わってきたことを、 ご縁ある方たちと分かち合いながら、 それぞれの歩みが少しでも軽やかになることを願っています。  つまらぬ正論や、きれいごとだけの言葉は申しません。 人はそれぞれのご事情のなかで、生きています。 だからこそ、まずは「素(そ)のまま」を大切に。 そうして静かにほどけひらいていくお姿に寄り添えられたら、拙僧としましてはこの上もありません。 — ・僧籍は静岡のお寺 ・横浜にて「そわかの縁側」を主宰 ・サッカー好きな息子の父 ・家族の鬱を共に乗り越えた経験あり — ご相談はどのようなことでも構いません。 八方塞がりのように感じるときほど、 案外そこに道の入口はあるものですから。 そわか合掌
どのようなお悩みでも、安心して打ち明けていただいて大丈夫です。 つまらぬ正論や、説教めいたきれいごとばかりを申し上げることはいたしません。 人がどのように理屈を重ねようとも、物事はただ「あるがまま」にあります。 いま、八方塞がりのように感じている方。 藁にもすがる思いでここに辿り着かれた方。 仏法に、そっと触れてみたいと感じている方。 どうぞ、あなたの歩みのままでお話しください。 その苦しみのなかに、 実は何かがすでに働いていることに、 ふと気づかれる瞬間があるかもしれませんよ。 そわか合掌

煩悩スッキリコラムまとめ