hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

心が擦り切れそうです。味方が欲しいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 8

精神疾患が悪化した妻への対応に苦労しています。詳しい内容はプロフィールの方に書いています。家族がこのサイトを見る可能性があるので。

妻に現実に戻ってほしいです。一緒に子育てや将来のことについて話したり、悩んだりしたいです。子供を含めて一緒に旅行に行きたいです。楽しみを共有したいです。
しかし、今は妻は現実逃避ばかりをしていて、妄想から戻ってきません。妻の気晴らしの為に一緒に外出しますが、同じ世界にいる気がしなく、あまり私が楽しいと感じることはないです。妻の方もあまり楽しい思いをしていないでしょう。また、どんどん無駄遣いをするので、一緒にいてハラハラします。病気特有の奇怪な言動も心配です。

社会福祉、病院での治療等を拒否し、妄想に逃げます。おそらく現実に戻りたくないのでしょう。

お金をたくさん使うのが、一番きついです。生活に支障がでるレベルです。妻に金を持っていかれるたびにどんどん心が削られます。「自分がお金持ちであれば心配しなくていいのに」と何度も思います。

精神疾患が悪化してから、過食になりました。体に悪影響がでるレベルで食べます。心配で止めるのですが、聞いてはくれません。妄想で正当化します。
これまで、いろいろな社会福祉を頼ってきたのですが、私たちの状況が難しいためか、妻が支援を拒否するせいか、どんどんそういう人たちが私たちから逃げているように思えます。最初は相手にしてくれて、訪問などをしてくれるのですが、次第に諦められ、「面倒ごとは相手にできない」と逃げていくように感じます。「そういう奥さんを選んだあなたの責任ですよ」と切り捨てられたこともあります。相手も忙しいので、仕方のないこともあります。しかし、そういった社会に憎しみを感じます。見捨てられたと感じます。親類にも「周りに負担をかけるな」と釘を刺されました。

「妻の病気の改善」を目指す私の味方になる人や組織が欲しいです。精神的な支えも欲しいです。励ましてくれる人が欲しいです。このままでは心が折れてしまうと感じますし、体も持たないです。
お金を払えば、たくさんあるのですが、妻の浪費のために余裕がありません。また、平日は仕事、休日は育児と介護で、時間的な余裕もありません。

子供の為に、倒れられません。なんとか耐えるための方法はないでしょうか?

2023年9月9日 18:47

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫婦で逃避と代償要求の心理を学び、本来の自己を求める。

本当はあなたが向き合いたくない現実がそこにあるのではないでしょうか?
そこで弱さを見せられない。逃避の心理がある。
奥さんに対しても本当に素直で正直に自分の弱さをさらけ出して向き合って語り合えてきたでしょうか?
してこなかったのかもしれません。
何か他のものを優先していた?
人間は現実がつらいと別のものになろうとする心理が生じます。あなたも。
本当に向き合うべきことから目をそらそうとする。
奥さんが菩薩だというのも、それも一種の理論武装のようなもので自分が好き勝手したいのではなく代償・安定を求めて継続するためにそれらしい理由を掲げているのでは?或いはあなたに対する抵抗心理であるのかもしれません。
本当はお互いが本当に向き合うべきことに向き合っていないからなのではないでしょうか?相手がどうであれ、まずご自身。
相手のことを先に変えたい心理にこそ実は原因が。
本当は奥さんがそうなっていってしまった経緯をよくご存じのはずでは?
ここでのご質問も、そこ、それについてはあまり触れたくない心理があなたの側にあるようにも感じます。そういうところも奥さんは深いところで寂しい、嫌がっているのではないでしょうか?
本来パートナー、伴侶というものはお互いどんなことでも話し合い、支えあうべき関係では?
いつのころからか、それがお互いできなくなってしまった、すれ違ってしまった何らかの経緯があるはずではないでしょうか?
愛し合って結婚された以上は過去がどうであれ、今の彼女(奥さん)をより良い心へご案内させて頂くためにこそ、他人の目、体裁、条件付けも捨てて、彼女と心を完全同期・シンクロさせ自分に何か至らないことがあったのであればそれを全力で改める表明をされてみてはいかがでしょうか。
今の奥さんが、それ以上悪化しないように、あるいは自分が今の状態よりも苦しくなるのではないかということを恐れて本当に触れるべきところに触れようとしないで逃げている面もあなたの方に今もある。
当時は、逃避、逃げるしかなかった面もあったのかもしれません。
本当に最優先するべきことは本当に「本当のところ」は何でしょうか。
あなたが本当に最優先するべきことは、本当に本当は何?👁どうして、それをやらないのか?そこに答えがあるかと。
これはまず、あなたが何かを握る両手からものを手放して全力で彼女を包み込む力を得るための処方です。

2023年9月9日 22:58
{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ