怒りを全て捨て去ることは可能なのか。
よろしくお願いします。
怒りを全て捨て去ることは可能なのか。また、怒りは本当に捨てるべきものなのか。についてご意見いただければ幸いです。
よく、怒りを手放した方が楽に生きられる等のお話を読みますが、『怒り』も生きていくなかで必要な感情で、やみくもに、根本を整理せず手放しても人生は変らないのでは?とも考えます。
今、ある人に対しての感情を捨て去りたく悩んでおり、今まで色々あったけれど、これ以上この方に自分の感情を使いたくないから捨て去りたいというマイナスの思いと、短い間だったけれど楽しい時間も共有させてもらったし、もういいじゃない、というプラスの感謝の思いも交え、自分の心を解放してあげて、次のステージに移りたい、階段を上がりたいという思いです。
相手も自分も解放したい(楽になりたい)という思いですが、楽な方へ行こうとすることは自分のためになるのか?も分からず。。
乱文恐縮ですが、アドバイスいただければ嬉しいです。よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怒りは悩み苦しみストレスの原因
怒りは煩悩の一つであり、煩悩は悩み苦しみストレスの原因になりますね。
だから、怒りは捨てた方が「お得」だと思います。
怒りの煩悩が全く生じないようになるにはかなり修行を積んで悟る必要があります。
でも、怒りを長引かせない(時間を減らす)ことや、同じ対象への怒りをリピートしない(回数を減らす)ことは、悟っていない私達にも可能です。
アンガーマネジメントなどは、最近では仏教(宗教)の世界以外でも一般的になっています。
で、警察官に喩えると、警察官は必ずしも犯人に対して怒りを持つ必要はありません。
犯人を憎んでいなくても、仕事として必要ならば犯人を制圧し逮捕することは可能なはず。
そう考えると、怒りを手放しても問題はないのです。
怒りを手放して楽な人生を送ることは、素晴らしいです。
心は無常。
心は瞬間瞬間に浮かんでは消えていきます。
怒りも、瞬間瞬間に必ず過ぎ去る波だと思いましょう。
そして、1秒前の波と今の波は別の波。
昨日の怒りは昨日の妄想雑念による波、今日の怒りは今日の妄想雑念による波だ、別々の波だ、心は瞬間ごとに新しく生まれ変わっている、と意識してみましょう。
また、自我を守るために怒りが湧く場合もあります。
でも、自我は他人と会話するために仮に設定された電話場合やIPアドレスにすぎず、自我は、人類が群れで暮らすために脳みそにインストールされたアプリの一機能にすぎないと思いましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。まだまだ冷静に自分の感情をコントロールはできていませんが、昨日の怒りを持ち越さないで、気分良く寝つくところから始めてみます!
ありがとうございます。やっと、気持ちの整理がつき、頭の中が怒りの支配か解放されお礼をお伝えできるまでになりました。また他のことで頭の中が支配されそうになったら、いただいた言葉を思い返します。