自分を愛し、人を信じるにはどうしたらいいですか。
もうずっと生きていることに罪悪感を覚えています。
自分がどうしようもなく無価値でこの世の害悪の塊に思えて仕方がなく、何故生きているんだろうと度々思い、泣きながら夜を明かすことがあります。
生まれて以来、ずっと自分が嫌いで仕方ありません。
人と間合いを取ることが出来ない所謂コミュニケーション障害のある子供だった私は、嫌われっ子として育ちました。
何をしても笑われる。近寄ると気持ち悪いと言われる。
見ず知らずの上級生にまですれ違いざまに「死ね」と嗤われる。
そんな小学生時代を送りました。
今でも、人の笑い声が苦手です。
大学の大講義室などで後ろからクスクスと笑い声が聞こえると、私のことを嗤っているのではないかと思い、胸が苦しくなります。
なんて自意識過剰なのだろうと、冷静になるたび情けなくなります。
友人すら信じることが出来ません。
人との距離感が解らず、踏み込みすぎて拒絶され続けた経験から、逆に私は人と必要以上に関わらないようになりました。
そんな私でも、狭く深い交友関係を築くことが出来ました。
けれど、心のどこかで、
「こんなことをしたら嫌われるんじゃないか」
「どうせあの子たちにとって私は居ても居なくても同じな筈だ」
「いざとなったら最初に切り捨てられるのは私だ」
という考えが捨てきれず、折角好意を寄せてくれている人たちの気持ちすら、自分に自信がないばかりに信じ切れていない事実がやるせなくて仕方ありません。
私は、この世に居てもいいのでしょうか。
学業成績と言う、絶対的で客観的な物差しを使えば、私は「頭の良い」学生だと言えると思います。
容姿も、肥満で気持ち悪いと蔑まれたことが異様にコンプレックスとなり、今では数字上は平均体重なのに時折自分が異形なのではないかと言う焦りに襲われます。
時折、綺麗だねと褒められることがあります。
美醜の観点でいえば、不細工ではないと、客観的になれば思います。
でも私の心が自分を肯定することを許しません。
所詮もともと人間じゃないのに、どんなに頑張ったところで、アウトサイダーは内部者になれないのだと、諦めと悲しさが襲います。
私は、生きていていいのでしょうか。
人と関われない。
何も生み出せない。
特技も才能も何もない。
ただマイナス要素だけが在る私が、どうして生まれてしまったんでしょうか。
どうかご意見下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思い込みから離れてみる事です。
自分を愛するよりも、自分にもう少し優しく接して上げて下さい。
貴女は自分を無価値だと仰いますが、この世にその様な人間は存在しません。
なぜなら皆、「本分(ほんぶん)」つまり、その人独自の個性、役割を持って生きているからです。
ですから貴女も全く無価値な人間だとは言えないのです。
「貴女」という人間はこの世に一人しか存在しないのですから、その時点で唯一無二…十分な存在価値、存在意義があるのです。
余り、思い込むのは止めましょう。
又、周りが気になってしまうのは、お辛い経験をされた小学生時代のコミュニケーション障害が原因となっているのでしょうが、仰る通り自意識過剰という名の思い込みです。
人が信用出来ないの信用出来ないという被害妄想という名の思い込みが邪魔しているからできないのです。
文面からですと学業や容姿、友人関係など何も卑下するところは無いように感じますが以前、蔑まされた事や人との距離感でうまくいかなかった事などが相まって自分を全てにおいて肯定する事が出来ないでいらっしゃる…。
それは今まで述べてきた様に、あらゆる物事に対して思い込みがとても激しい人間だからなのではないでしょうか?
禅の言葉にも「無縄自縛(むじょうじばく)」といって縄もないのに自分を縛り付けてしまっていることを意図した言葉がございます。
この禅語の如く、思い込みの縄で貴女はがんじがらめでかちかちなのです。
折角の貴女が本来持つ「本分」ありのままの良さを内に閉じ込めている状態です。
ですから、この縄をとく事が全てのスタートなのです。
少しずつほどいて行く事で貴女の人生もプラスへと転じて行くのではないでしょうか。
人と関われなくてもいい。
何も生み出せなくてもいい。
特技がなくてもいい。
マイナス要素しか無いのなら縄を解いてプラスに変えて行けばいいんです。
何事も一息に生きる事、つまり一呼吸するその瞬間を精一杯生きなさいという事。
どの様な目標、目的でもいいですから掲げて、そこ目掛けて一息に生きる事を心掛け
生きる事を日々実感して下さい。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
無縄自縛というのは、まさしく今の私に当てはまる言葉であるなと感じます。
確かに私は、思い込みが激しい人間です。
それで驕り昂ぶり人との距離感を見誤りさんざん苦しんだからこそ、
今度は逆に自分の価値判断に全く自信を持てなくなってしまいました。
少しずつ、冷静な客観視を身に着けて、浮足立たず、けれど己を卑下しないでいられるようになりたいと思います。