誰かを幸せにしたいのに何もできません
私は幸せを感じるのが苦手です。
いい音楽やきれいな夕焼け、四季の風、おいしいごはん、家族との対話。
そのすべてに対し申し訳ないと思い、罪悪感でいっぱいになってしまいます。
休日は時計を眺め、80で死ねるとしてあと○○時間だ…と考えることしかできません。
しかし私が今自殺すると、両親や会社の仲間、友人、その他の迷惑になってしまうので、本気で死のうとは思いません。でもこれも甘えかもしれませんが。
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本題に入りますと、自分が幸せになるには誰かを幸せにする事、そうすれば自分も幸せになれると聞いたことがあります。
なので仕事を頑張り、他人の嫌なところが見つかったら3倍は良い所を見つけ伝え、愚痴をこぼさず、向上心を持ち、
不快にさせないよう言葉は選び、苦手な人を作らないように全力で生きています。普通の人の全力には程遠い、甘えたどうしようもない出来損ないの全力ではありますが…
それで、今自分の気分はどうかというと、1秒でも早く死にたい、産まれてきたことを償わないといけない、その二つがほぼ全てです。
自分の中に幸せだとか、生きていたいとか、そういう感覚は一切ないです。
感謝の心を大切にと、「ありがとう」と事あるごとにいっていますが、自分の中の産まれてきたことを謝罪しろが、
生きていてはいけない、でも迷惑をかけて死んでもいけない、だから自分は今も罪を重ね続けているといった感覚が襲ってきます。
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本題ですが、私はこれからどうすれば他人を幸せにできるのでしょうか?
肉体労働でも、寄付でも、その人をほめるでも、その人のことを考えたプレゼントでもなんでもやります。寧ろすでに相当やっています。
それでも一切幸せは感じず罪悪感が募るばかりです。
何かいい方法はないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そう簡単じゃないけれど。
自分が生きていることに対する申し訳無さ、、ですか。
そんなに申し訳ないですか。
『私はこれからどうすれば他人を幸せにできるのでしょうか?』
すでに色々やったんですよね。
自分を責めているかぎり
難しいかなと思います。
対象が違うだけで
自分を責めるのって
他人を責めてるのと
あんまり変わらないんですよ。
『肉体労働でも、寄付でも、その人をほめるでも、その人のことを考えたプレゼントでもなんでもやります。寧ろすでに相当やっています。
それでも一切幸せは感じず罪悪感が募るばかりです。
何かいい方法はないのでしょうか?』
一緒に苦しんであげてください。
肉体労働も寄付もほめるでもプレゼントでもなく、その人の苦しみを理解することのほうが、いい方法だと思います。
人は幸せよりも、悲しみや苦しみやつらさや罪悪感を分かち合いたいのですから。
人からもらった幸せなんて
すぐ消えてしまうんです。
でも苦しみを分かち合った経験は
幸せをも超えると思います。
そう簡単じゃないと思いますが。
その人の苦しみをその人のせいにしない。
自分の苦しみを自分のせいにしない。
そうでなく、その苦しみがどこから来ているのか。
一緒に探ってあげるだけでいいと思うんです。
そう簡単じゃないと思いますが。
私はそれで救われたんです。
南無釈迦牟尼仏 合掌
捨てることです。
缶みかん 様
相談ありがとうございます。
他人を幸せにしたかったら、その長く持っている罪悪感を捨てることですね。
さらに、出来ない、怠惰なのは、「甘えだ」と思っていることも捨てることです。
それがあなたにとって他人を幸せにすることです。
鬱になったことを自分のせいじゃない、自分に責任はない、自分が悪いのではないと思っていいんです。鬱になりたいと思って生まれてきたわけでもないし、そんな葛藤を抱える脳を持って生まれたいと思ったんじゃないですから、自分は悪くないと思うことですね。そして罪悪感を捨ててください。
「私は罪悪感を捨てました」これでいいでしょう。
罪悪感を捨てられないとしたら、罪悪感に依存しているのです。
罪悪感で自分を責めてあなたは生きる糧にしてしまっている。
それはあなたが今に至るまで、学んだ心の癖です。
癖は治ります、繰り返し練習すれば。
「私は罪悪感と甘えと思うことを捨てました」を心に決めて、色々感じることです。
だから、平穏を感じていいし、他人に甘えてもいい。怖がらなくてもいい。
身近な人にもっとオープンになって、自分の悩みを打ち明けていい。
愛情も感じていいし、優しさも感じていい。
そう思って心を開くことですね。
「心とはパラシュートのようなもの、その機能を果たすのは、ひらいたときだけ」
イギリスの科学者の言葉です。
参考にしてください。
一礼