何をしても縁が繋がりません
私は43歳の男です。
現在まで異性と付き合った事がありませんし、友人ももう10年近くいません。
まずは友人からとボランティア参加や趣味のコスプレイベントにも参加して挨拶をしたりと精力的に行動しましたが、繋がれませんでした。
またSNSでも自分の趣味や食べ物などを投稿しても誰からも反応はもらえず、こちらからリアクションしても誰にも反応を返してもらえずにいまして、孤独を打ち破れません。
こんな事をしてる内に自分は心筋梗塞や腫瘍などの大病をし、また精神障害も分かり見も心もぼろぼろになり、更には障害者雇用も打ち切られ今よりも貧乏になり、余計に異性と繋がりなど持てない人間になります。
しかし世の中を見れば色々な人間がいて良い面も悪い面もあるはずなのに、家族やカップルで暮らしています。
なぜ私はここまで誰にも相手にされないのか…?嫌われるのか…?孤独なのか…?
と辛いです。
やはり障害持ちや社会で底辺の人間だから孤独に生きるべきなのでしょうか?
もう1人で頑張ることに疲れました。よく書籍やインターネット記事で「孤独を楽しみなさい。慣れなさい。死ぬまで孤独」など目にしますが、そんな境地にはいけません。
諦めて孤独死するしか私にはない運命なのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
同じような境遇の人に親近感を持ったり、似たような人に惹かれる
寂しいですよね、話せる仲間や想える人がいたらどんなにいいかと望みますよね。周りを見れば、自分だけが置いていかれたようで、辛く悲しいですよね…。
人は、同じような境遇の人に親近感を持ったり、似たような人に惹かれたりします。ですから、あなたが積極的に関わってこられたコミュニティには、そのような気の合う人がいらっしゃらなかったのかもしれませんね。
SNSでも、似たような立場のグループには、あなたの気持ちをわかってくださる人もいるのではないでしょうか。そこから輪が広がっていけばいいのですけれどね。
槇原敬之さんの『まだ見ぬ君へ』という曲があります。誰かを想って過ごす毎日は、「君と出会うためなんだ」という素敵な歌詞です。私もこの曲に背中を押してもらってきました。あなたにもきっと、また見ぬ君がどこかに。
質問者からのお礼
遅くなり申し訳ございません。
お応えくださりありがとうございます。
中々上手くいきませんが頑張る毎日です。



午後から夜の時間帯は都合がつきやすいです。
◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
◆自死で大切な人を亡くされたり、死別により 死が受け入れられなかったり、心の整理がつかない方へ。30分ずつでも、オンラインで定期的に気持ちに向き合っていきませんか。吐露したり泣ける時間も、大事なグリーフケア 。
◆個別電話ってドキドキして勇気のいることだけれど、声が届くから、聞こえてくるから、ちゃんと繋がっているようで、そばにいるように安心出来ることもあります。
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◆出来るだけ希望時間にお応えしたいと思いますが、午前中は毎日 法務があります。
(相談は、hasunohaオンライン相談より受付下さい。お寺へのいきなりの電話相談は受けていません。法務が優先なので)
◆一人で悩まないで。待っていますね(﹡´◡`﹡ )