友人との距離感
友人との距離は流動的で、常に同じ位置、距離感にないと思った方がいいですよね。
とても親しくなったと私は思っている友人がいます。
先日誕生日で、ありがたいことに知人、友人から暖かいメッセージをたくさんいただきました。
しかし一番祝福してほしかったこの友人からは、メッセージをいただけませんでした。
仲がよく、お互いにしょっちゅう遊んでいる仲なのでとてもショックでしたが、その反面、私は友達とはこうあるべきという固定観念と、友達とは親しくなったら常に同じ距離感、いつも近くにいなくてはいけないという思い込みがあったのではないかと思いました。
気楽に会い、なんでもないことを話し、笑い合えればいいかと。
そこに何かをしてあげた、してもらったと考えるのちがうかもしれないと。
正直まだショックですが、対人関係はそれくらい会えて、話して、笑えればいい。
それくらいゆるく捉えた方がいいですよね。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させていただきました。
一番祝福して欲しかったご友人からお誕生日にメッセージが来なかったのですね。
期待していただけに尚更ショックですね。
このショックの気持ちが起こった時に、その感情に蓋をしないことが大切です。「友人との距離感は・・・だから、」とか、こうあるべき、こうすべき、などと頭で気持ちを押さえつけてしまうと自分の気持ちが鬱屈してしまい、変なところで感情が爆発したり、感覚自体が麻痺して自分が何をしたいのかなど感じにくくなってきます。
どんな気持ちも実はSeaさんにとって貴重な財産になります。このショックの気持ちの中にも、寂しさ、悲しさ、怒りなどいろいろな感情に気づけたら、それを今度はじっくり浸り味わってみてください。明けない夜が無いように、永遠に続くネガティブな感情はありません。味わい続けているとその感情にも必ず終りがきます。
自分の内側から湧き起こってくる感情を味わっていると、自分の魂がその友人を通して、本当は人生で何を望んでいたのかが見えてくるかも知れません。友人の問題だと思っていたことが、実は親へのわだかまりかも知れないです。感情は、自己と向き合うツールです。
どうしてもネガティブな感情が収まらないなら、一旦紙に書き出して自分でお焚き上げしても良いですし、トイレットペーパーにマジックで書き連ねてトイレに流して解消するのも手だと思います。
仏教では、人と人との出会いは縁であると教えてくれています。会いたいと思っても縁がなければ会うことはできないですし、会いたくないと思っても縁があったら会わざるを得ない。人を超えた大いなるはたらきで人は出会いや別れを繰り返しているということです。
そのご友人とも、縁があれば今後とも繋がるであろうし、Seaさんがもっと人間的に成長すれば、それに見合った人と今後出会っていきます。
ぜひ、ご自分の人生を信頼し、これからも成長していっていただけたらと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
そうですね、我慢してました。
本当に、本当に悲しかったし、つらかったです。
すごくショックでした。
たぶん、友人とはうまくいかなくなってきてるんだと思います。
混乱しますね。