自分が与えてばかりだと感じてしまう
友人や家族、恋人など周りの全ての人に対して「自分が与えてばかりじゃないか」と感じてしまいます。
実際はそんなことないと思います。
私も色々な方に迷惑をかけています。
でもどうしても「与えている」方にばかり目がいってしまい、モヤモヤします。
例えば相手から期待した反応がなかった時、私は○○してあげたのに、とひとりでモヤモヤしています。
昔はこんなこと考えたこともなかったのに大人になるにつれて年々この感覚が増しています。
心が卑しくなっているのでしょうか。
また自分自身もこの考え方により大変ストレスを感じています。
こんなとき、心が楽になる考え方があればご教授いただきたいです。
お忙しい中とは存じますが、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
与えるのは自分のため
拝
与えるのはとても豊かな事です
但し間違えた与え方をしていると
今の貴女のように心病む
与えるというのは
「相手の為」
ではなく
自分で自分に課す「自分の修行」
物あげるにも
物をもらうにも
正しい心がけが必要です
物を与える時は与えた瞬間に
与えた事を忘れます
言葉をあげる時
その人にとって真に必要な言葉が何かを探してあげます
そしてやはりすぐ忘れます
席を譲っても
優しい眼差しを送る時も
優しく聞く時も
そうやってからすぐに忘れるのです
これは思考の訓練です
貴女がどんどん苦しく卑しくなっているのは
常に「人がやってくれた事」と「自分がやってあげた事」を秤にかけるという
間違えた思考のトレーニングをしているからです
つまり貴女のいまの思考癖は
相手のせいではなく
100パーセント貴女のせいです
全て喜んでやるのですよ
それをこれだけやったとか
何もしてくれないと考えてしまう
思考を勝手にさせて生きていると
貴女の気持ちは今のように地獄に落ちる
してあげるという行為は
本当は誰かの為にするんじゃないんだ
目の前で起きている事に問題があるのではなく
貴女の心構えの問題です
なんというかあげるというより
あげる時は心を込めて
あげたら「捨てた」時の意識に切り替えるのです
捨てたら何も思い出さないでしょ?
これを「喜捨」といいます
合掌
すでにギバーであることが誉れ
ギブアンドテイクと言いますが、ギバーなのかテイカーなのかというのはとても重要視される点のひとつかと思います。
「ギバー(人に惜しみなく与える人)」
「テイカー(真っ先に自分の利益を優先させる人)」
与えるから与えてもらえる
考え方としては至極真っ当なことですが、実はどれだけ与えても返してくれないという人(テイカー)も存在するのは確かだと私は思っております。
しかし、だからといって与えてもらっていないというわけではない、というのが真髄で、それをいかにそのように納得できるかがストレス緩和に繋がっていくことと思います。
つまり
Aさんにひとつ与えたからといってAさんがひとつ返してくれるとは限らないけど、私が与えたわけでもないのにBさんがひとつ私に与えてくれた。
ということに気づくことかと思います。
きっと巡り巡ってギブアンドテイクになっているのだと思います。
はちさんは、相手のことを考えて考えて与えているのだから、相手も自分のことを考えてくれて当たり前!と思ってしまうのでしょう。私も心から同感です。
でも。
与えられるより与えることのできる人の方が心が豊かであると考えられます。
高みを目指すならギバーになれ、と言われます。
テイカーでは、ある一定のところまでしか昇れない。与えられる人間にならなくてはダメだ。と。
はちさん。
行為としてそれができているあなたが、もうひとつ強くなるには、ギバーこそが最強だと認識することだと思います。ギブアンドテイクが成立しなかったら「よし!ひとつギバーに近づいた!」とむしろ見返りがないことでガッツポーズをするような。
そんな、より豊かな心を手に入れるきっかけとして利用できたら、素晴らしい経験になっていくと思います。
以後、楽しめますように ^人^
豊かさや幸せな人生
拝読させて頂きました。
あなたが人のお世話したり何かしら人のためにしたことで自分ばかり人に与えてばかりだと思ってモヤモヤしてしまい不満に思っておられるのですね。あなたがその様にお感じなさったりお考えなさるのももっともかと思います。あなたのそんなお気持ちわかる様に感じます。
今あなたがその様に人に対して様々なことをしてあげることできたり、あなたが人に与えることができるということは、あなたの心身共に豊かであるという証かと思います。そしてあなたは心身を豊かにゆとりを持って生きることできるならば本当に幸せに生きられるのかと思います。
私が知っているお金や財産を有り余る程お持ちの方々でも自分の欲や目先の利益のことばかり考えてほんのちょっとしかお金も出さなかったり、困っている人に施すことしなかたり、決して人の為に奉仕等なさらない方々はいらっしゃいます。その様な方々の心は本当に貧しく満たされることがありません、生きる意味や目的は全て欲にまみれています。ですから貧しく不幸なのです。それは自ら自身で貧しく不幸にしていっているのですがご本人は一切そうお考えなさらないですし、そう受け止めません。
仮にですけれども地球上全てのものを手に入れても満足しないでしょう、我欲は限りなく広がっていくでしょう。でもその方々のこの世での命は限りがあります。与えられた命を全うなさった時には全ての財産も地位も名誉も全部置いていくのです、自分の肉体も全て手放すのです。つまり今与えられているありとあらゆるものは全て借りものなのです。この真実は誰しもがわかっているのです。
亡くなっていく時にその真実を目の当たりにしなければならないのです。
仮にまたこの世に生まれ変わったとしても以前持っていたものは全て自分のものではなくなっているのです。そして己の我欲にくるしむのです。
いかがでしょうか?その真実をあなたはどうお考えなさるでしょう。
与えるとの本当の豊かさ幸せをあなたはどうお考えなさるでしょう。
あなたがこれからの未来を沢山の方々に恵み施し、あなたも沢山の方々から目には見えなくとも与えられ、大切なご縁に恵まれながら心から豊かにおおらかに毎日を生きて皆さんと幸せを分かち合いながら生き抜いていかれます様に切に仏様や神様に祈っております。至心合掌
質問者からのお礼
皆様ありがとうございます。
厳しいお言葉も優しいお言葉も忖度なく頂き、有り難い限りです。
自分と違うお考えに触れ、勉強になると同時に心が晴れました。
何度も読み返して努力していきます。
ありがとうございました。