ウクライナやガザの現状が辛くて楽しめない
初めて書き込みさせていただきます。
ウクライナの侵攻が起きて以来、ネットで残虐な記事を見るたび心にダメージを受け、かと言ってそれらのニュースを見ないことは現実から目を背けることになると、遠くの国の出来事とは思わないようにしてきました。どんどん心が蝕まれ、記事を読んでは兵士や市民の無事を祈り、惨状に涙し、不眠症が悪化してしまいました。
戦争が続き、コロナが起き、そんな中でも飲み会を開き、賑やかに過ごす学生時代の同級生たちに対して軽蔑と拒否の気持ちから、一切の付き合いを断ちました。
今はイスラエルで、何の罪もない人たちが亡くなっているのです。会社ではムードメーカーを演じていますが、私はもう何をしても楽しめなくなってしまいました。LINEは全て無視していたら、誰からもこなくなりました。鬱陶しかったと初めて気づきました。
精神科に通い始め、眠れる薬をもらって眠れるようになりました。でも心の中は何の変化もありません。
誰とも会いたくないのです。こんな暗い自分を見られたくもないのです。
少しですが募金をしたり、署名に参加したり、一人で常に深い悲しみの中にいます。
夫と子どもが発達障害のため、家族に理解を求めることはできません。
これからどうやって生きていけば良いのかわかりません。この先楽しいことがあるとは思えないのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それはあなたが楽しくないからです
ゆさこさん、あなたは繊細さんですね。私もそうです。色々なタイプがありますが、あなたは戦争の影響で自分ごとになるタイプですかね。
戦争はなぜ起きるか?相手のことを認めない。相手のことを否定する。相手が間違っている。自分が正しい。など多様性を否定したときに起きております。経済や資源の奪い合いはよく考えてみれば、相手の否定から生まれています。経済や資源は交換条件やシェアなどで解決出来るかなと思います。
そこであなたはどうですか?友だちに自分の価値観を合わせようとして結局、あなたが友だちを遠ざけたと思っていますか?逆ですよ。友だちがあなたを遠ざけたのですよ。友だちを選ぶのもあなたなら、友だちがあなたを選ぶこともあるのですよ。選ぶか選ばないかは皆に選択権がありますよ。
みんなが笑顔なことは平和の象徴ですよ。飲み会に行けるのも平和の象徴ですよ。何かあなたが病む必要はありますか?友だちと家族を大切にすることが平和の象徴ですよ。
唯識
ゆさこさま
仏教では、「同事」(どうじ)という言葉があります。
同事とは、相手のことを自分のことと同じように考えることです。
相手の苦しみや辛さをどうしかしてあげたいという慈悲の心にも繋がるものであります。
停戦へ向けてできることは何もないわけではありません。
このようにネットやSNSで声を上げることもできます。もちろん寄附や署名でも十分です。
少しでもできることができていければ、ほんの僅かでも力になれたと心の安心に繋がるのではないかと存じます。
また、仏教には、「一切唯心造」(いっさいゆいしんぞう)という言葉があります。「唯識」(ゆいしき)という考え方になりますが、全ては自分が捉えたようにしかなっていない、という、まあ、認識する自分の心の側の問題を扱うことになります。
一つの物事でも、人それぞれで認識のあり方は微妙なりにも異なるものであります。
苦しいこと、つらいことでも、認識の仕方を少し変えてやると、それまでとは違って捉えることで、思い、考えも変えることができるでしょう。
宜しければ「唯識」について学ばれてみて下さい。
合掌