怒りや負の感情の捨て方
少しお話を聞いて頂きたいことがあります。
職場や家庭で他人や家族と何か軋轢があるとき、
たまに怒りを感じる時がありますが、それを全て相手に向けず、少し落ち着いて言葉を選び対応します。謝りますし、不快感も言葉を選びます。
人間関係を悪くしませんし、偉いね、とよく褒めてもらいます。
しかし、その時、自分の心に負の感情や怒りの力がグッとかかり、それを我慢してしまうときや、それが残る時、すごく辛くなる時があります。
周りとはいい関係は持続できる。これは良いことですが、
でも我慢した負の感情や残った怒りの感情のやり場、私も含め誰も傷つかないところへの捨て場所がよくわかりません。
しばらくするとどうでもよくなるのですが、
しかし「あの時あんなことを言われた」と根を持つこと感情が残ることにつながっているような気がします。
自分を楽にする、自分を救ってやるにはどうすればよいか。
その怒りの感情、負の力のやり場、捨て方、誰も傷つかない害のないところへの捨て方に少し悩んでいます。
相手に対して「もっと言ってやりたい」と思うのですが、感情に任せそれをやると後戻りができないほど相手との関係が悪くなることもあることはよく理解しています。
お話し聞いていただき、ありがとうございました。
乱文、失礼いたしました。
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感情をおっしゃって下さいね
拝読させて頂きました。
あなたは他者への怒りの感情を抑えてしまい大変辛い思いを抱えておられることを読ませて頂きました。あなたはその感情をどうすればいいかととても迷い悩んでおられるのですね。あなたがその様にお悩みなさりこととてもわかる様に感じます。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
沸騰しているヤカンをムリに冷やそうとすればそのヤカンの底は抜けて穴が空いてしまいヤカンは使えなくなってしまいます。
人の心の中も同じ様にムリに抑えこもうとすれば多大なストレスがかかってしまう壊れてしまいます。
私達の心もそれぞれにキャパシティがありますし限界があるものです、ある意味私達の限界点は自分が思うよりも小さく狭いのではないかと思います。
確かに人と接する中で相手のことを尊重して思いやり言葉を選ぶことはとても大切なことかとは思います、しかし自分の心をムリに抑えつけてまで我慢なさることはいかがでしょうか?自分自身を壊してしまうことになってしまうことになるのではないかと思います。
私達の心の中には様々な感情が渦巻いているのです、嬉しい気持ちも喜びもあれば怒りや憎しみやうらみもあるのです。ましてや様々な思いや考え方や価値観があります。それは素直におっしゃることもとても大切かと思います。
ムリに我慢して爆発してしまいそうならばどうかここでもおっしゃって下さいね、仏様や神様やあなたのご先祖様にもありのまま全て心から告白なさって下さいね。仏様や神様やご先祖様はあなたの思いや感情全てを優しく受け止めて下さいます。あなたを受け入れて寄り添って下さいますからね。
あなたがごムリなさらずに人とコミュニケーションを取られながらお互いを尊重し合い分かち合い、毎日を心から豊かにおおらかに生きていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。
まあぜひあなたの思いをおっしゃって下さいね、あなたを心よりお待ちしてます。至心合掌
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございました。
ここ二日ほどで、だいぶ気持ちが落ち着いてきました。
一瞬かかる怒りの力は重く苦しいのですが、それを無理に冷まそうとするのも
よくないですし、そういうときはゆっくり時間をかけて、自分を観察しながら
落ち着けるのがいいのかなと思いました。
実はグッと堪えて、余計な一言を飲み込んだ時、その時は苦しいのですが、
後から「言わなくてよかった。」ということも多いです。
ただ、我慢しすぎたり、吐き出さなかったり、捨てるところを
間違えると大変なことになると感じます。
どこまで我慢するか、ということにはマニュアルもありませんし、
失敗することもあると思いますが、それは日々修行なのかなとも思います。
あとは疲れをためず、よく休むことも良き対処につながるような
気がします。
これからも少しずつ前に進みたいと思います。
ありがとうございました。