大事にしている猫の老衰と母
私が二十年前に拾ってきた猫を、母が子育てを終えた後も子供のように大切にしていっしょに暮らしてきました。
老衰で失明し、昨日から脱水症状、目の陥没があるそうです。老衰なのでいたし方ないことは私も母も承知しているものの、猫の死を恐れて泣く母に、どういう風に猫をみとり見送るように伝えたらいいでしょうか。
いままでもペットが多く死を乗り越えてきましたが、子育て後で老後心の支えとなっていることもあり、大変に恐れているようです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お念仏申しましょう
由香里様はじめまして。ご相談拝見しました。
大切な猫ちゃんのその時が迫り、ご自身もお辛い中、何よりもお母様の御心配をなされていること、大変優しい方だなあと心温かくなるとともに頭が下がります。
さて、ひとつの命終わるときには常に悲しみがつきまといます。ましてや心の支えであった存在の喪失であるならば言うまでもないでしょう。
私たち僧侶はこのような時つい、経典や教えの中から悲しみを拭い去れるような「魔法の言葉」を探してしまいますが、残念ながらそのようなものは見当たりません。
こうした時、どんな言葉をかけようとも私たちが使う娑婆世界(現実にいま生きているこの世間)の言葉では間に合わない気がいたします。
由香里様もお抱えの気持ちをどう表現して良いかわからずご相談いただいたのではないでしょうか。
私たちが心に感じている純粋な気持ちがいざ口から出ると、なんか少し違ってしまうということがあると思います。
浅田次郎さんは「言葉は汚れている」とも表現していますね。
「お辛いですね」「寂しくなりますね」
なんと声をかけても、どんな言葉でも間に合わないのが現実でしょう。
こうした時、浄土真宗ではお念仏申します。南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏とは真実が言葉となって私たちの所まで届いてくださったということです。
ひとつのいのちが生まれ、いまそのいのちが尽きようとしている
そうしたひとつの真実もまた南無阿弥陀仏なのではないでしょうか。他に信仰している宗教があるようでしたらその言葉でもかまいません。
お葬式でお経をあげるのも同様です、ただならない現実の前には真実の言葉でないと間に合いません。
お念仏もうして共に生きていきましょう。その共に生きる世界とは、たとえいのち尽きても私たちを見守ってくださる存在としてまた出会い直していける豊かな世界であると思います。
猫ちゃんも由香里さんもお母様も残された時を安らかにともに過ごせることを念じております。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
吉武様
回答をいただきありがとうございます。
早速に頂いたお陰様で、明日会いに行った際の心づもりが少なからず整った気がします。
言葉より、静かに寄り添えればと。。。
魔法の言葉はないけれど、南無阿弥陀仏が真実の言葉であること、自分もあらたに出会い直せる、豊かな世界だと信じたいと思います。
本当にありがとうございます。