自分の性格の悪さに絶望します
先日友達と絶縁してしまいました。
私が全て悪いのです。友達の秘密を私が口外してしまったばかりにとても傷付けてしまいました。何度も謝りましたが、もう関わりたくないと言われてしまいました。
秘密、と言っても口止めはされていませんでしたが、言いふらすような内容でないことも分かっていました。しかし彼女はその話をクラスなどでかなり大きな声で話していたので、周囲の人にも確実に聞こえていました。始終笑って話していたので、私は勝手に、隠すようなことでもないのかな、と認識してしまったのです。(人によって恥ずかしいと思うか自慢に思うか、分かれるような内容だったのです。)それがまず間違いでした。
私は、クラスでは彼女と二人で行動していても、文化祭などのイベントでは殆ど一人でした。彼女は私よりもずっと好きな友達が他クラスにいるようで、その子のところへ行くのです。私とまわる約束をしていても放っていきました。だから彼女は、私と仕方なく一緒にいるだけで本当は嫌いなのだろうと思っていました。(私の過度な被害妄想と自己肯定感の低さも影響していました)しかし中途半端なプライドは持っていた私は、惨めな気分にさせられたことに憤り、その仕返しのように彼女の話をとある友人にしてしまいました。本人も大声で話していたのだから構わないだろう、と軽い気持ちで。嫌なことがあるなら本人に言って話をするべきだったのに、それによって関係が悪化することを恐れて卑劣な方法で鬱憤を晴らすようなことをしてしまいました。
二、三人を通してその話が本人に回ってきた時、彼女は怒っていました。すぐに私が口外したことを伝え謝りましたが、彼女には「信用してたのに」と失望されてしまいました。ショックでしたが、なにより衝撃的だったのは、私が彼女に信用されていたことでした。嫌われていると思い込んで、信用を裏切ってしまったことが本当に申し訳なくて、罪悪感に押し潰されそうで、死にたくなりました。そこまで思っているはずなのに、今言い訳ばかり並べて彼女を悪くさえ言う自分が世界で一番嫌いです。
何を言われても、どうせ嫌われているという考え方を変えることができません。そのせいで友達を傷つけてしまう自分にまた絶望します。人を傷つけた分際で罪悪感から逃れようとして、本当に情けないです。どうすればいいのでしょうか。どうかご助言をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
罪悪感、自己肯定感、被害妄想。言葉を増やすと問題はややこしい
相談文を読んでいて、『何が悪かったか』はご自分でも身に染みておられるように思います。
ではあなたの自己肯定感の低さ、被害妄想の大きさの原因は何でしょうか?
それは、『人間関係における成功体験の少なさ』です。
自信を持ちましょう、自分を好きになりましょう。
いくらそんな言葉を並べても、練習も経験もなければ好きになる根拠がないので、できるわけがないのです。
こういう問題を語るときには様々なアドバイスが飛び交いますが、実のところ“しんどくても、何度失敗しても、コミュニケーション能力を向上させて成功する”以外の解決はありません。
心の持ち様で今回の傷はいやせても、いつかまた同じようなことが起きてしまいます。
発声、姿勢、喋り方など、訓練でどうにかできること、
気の遣い方、話の振り方、感情の制御の仕方など、実際に人と話してみないとわからないこと、
どちらもたくさんあります。
お友達はなぜあなたとの縁を切れたと思いますか?
傷ついたからではありません。
だってあなたも傷ついているのに、ちょっとした嫌がらせで済ませてあなたから友人の縁を切ろうとはしていませんから、きっとそうなのでしょう。
“傷”や“不快”など、人間関係を続ければ必ずあることなのです。
ではなぜ切れたのか。
それは、他にちゃんと友達がいたからです。
身体を鍛えていない人間が、どれほど食事や薬に気を使っても健康でいられないように、コミュニケーションがうまくいかない人がどれほど心の持ち様を工夫しても、自分と人を傷つけることは避けられません。
これから先、自分のコミュニケーションと向き合うか向き合わないか。
それだけなのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。頂いた言葉で、人と関わることを避けてはダメなのだと気付きました。すぐに変わることは難しいかもしれませんが、少しずつ向き合っていこうと思います。本当にありがとうございました。