どうしたら存在してもよい人間になれますか
どこに行っても自分が存在すると迷惑なんです。
実の親にすら愛されなかった人間が、ほかの人間に受け入れられるわけない。
頑張って生きてたらいいことがある、全部嘘でした。
死にたいけど何も出来ないから死ぬことも出来ない。
だから誰かに殺してほしいです。
でも殺してくれる人もいません。
どうしたらいいかわかりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人の評価を自己評価と同類しないこと。
世の中には無数の十人十色があり、風土風習、地域社会などより個々の思念の在り方は異なるものです。
「わたしの中ではこうである。」
もし、そのような考え方がどこかしら強いのであれば視野を広げていくことが必要となります。
人に好かれる。人に愛される。などのカテゴリは永遠のテーマであり、世間が決めることでなく、自分自身の心がどうあるかなのですが、「広く観じて自己を観じる」ことです。そこに"こだわり"が強ければ利己的見解となります。
仏教の本質は「空の性質」として心で考えていく観想です。
「偏らない、拘らない、囚われない」
この三つを思考思念し『何事にもおいても』偏執していないかを観じていくことが肝要とします。
他人の評価を仏教ではどのように説くのかを釈迦の言葉を通じてお伝えしますと。
「沈黙する者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。」
と説きます。
これは真理の釈迦の言葉であり、どの時代においても変わることのない不変の教えです。
要は誰しも"非難されない人はいない"ということであり、成功者といわれる人たちの裏側には妬みやっかみが付随しています。ある名言にこのような言葉があります。「ヒット商品の裏にクレームあり」と。
世の中に合わしながら生きることは自己犠牲をしながら生きていることでもある現代です。いわゆるどこかで心(精神)に負担・負荷をかけながら生きているようなものであり、今を生きる私たちにとって重たい荷物を抱えながら生きることはいいことではありません。
自分らしく、自分らしく生きるには自己に捉われた思念から手放していく趣味をもつことです。僧侶たちは悩みに立ち向かうよう仕込まれているといっても過言ではありません。悩むことは苦難であると一般的にはとらえますが、「悩むことが趣味としている。」と捉えていきます。
トンネルには必ず出口があり、電灯の点いていないトンネルは暗闇です。この暗闇が仏教では「無明」という明るみが心に無いととらえ、迷いを指し、苦悩を表します。しかし、知恵を絞っていく(悩みに立ち向かう)ことで出口は見え始めてきます。
努力は仏教では精進としますが、その中でも「正精進」が必要であり、その側面には「不邪見」をおかなければなりません。
頑張ったからといって成果が必ずでる訳ではありませんが、頑張り方法を間違ってもならないのです。
あなたは存在しても良い人間です
あなたがお菓子を1個買うだけでも、その経済効果で助かる人がいます。
あなたが動画サイトをクリックするだけでも、広告収入で儲かる配信者がいます。
あなたは、日常生活の中でお金や品物を右から左に動かすだけで、誰かの商売の利益に貢献しているのです。
だから、あなたは胸を張って存在して良いんです。
大河ドラマとかを見たことはあるでしょうか?
昔のお殿様やお姫様の食事も、今と比べれば質素なメニューです。
私たちがコンビニやスーパーで買える食べ物でも、昔の王様がびっくりするようなご馳走です。
昔の貴族よりもずっと便利な生活をしている私たちです。
「生きていても良いことない」というのは、実は錯覚。
白いお米を食べられるだけでも良いことだらけなのです。
小さなことでも喜べる視点を磨きませんか?
そうすれば自分で自分の存在を許せるようになるかもしれません。
質問者からのお礼
ありがとうございます。ごめんなさい。