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行き着くところは皆同じ

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ある時、生きる意味を教えてくれた人がいました。
生きることは愛である。と教えてもらいました。
その時から私も生きることは愛だと考えるようになりました。
話を聞いている中で疑問ができたので、恩師に質問をしました。
この世に生まれてきて、愛に触れて愛を学び、それが一番大切なものだと気づいたとして、そのあと行き着くのは何処ですか?と質問しました。

行き着くところは皆同じ、源だ。と教わりました。
たくさん宗教があるが最後行き着く場所は皆、源である。と教えて頂きまさした。
まだうまく理解はできていないのですが、
生命あるもの皆等しくいずれ天に還る。ということかと仮定しました。
そう考えた時に、死後この世界ではない別の世界があり、そこに源があるなら、本当の世界とは死後の世界ではないかと考えました。
天に還るという事は、元は私たちは天からやってきたのか?とふと思いました。
でもやっぱり死んでみないとわからないなぁ、に行きつきました。

恩師の言葉で印象に残っているのは、
この時代、この家族、この友達、この恋人、全部この人生だけの組み合わせである。楽しみ尽くさないと勿体無いよ。ということでした。
人によって考え方は違いますし、
今の生活を修行と言う人もいるし、地獄と言う人もいました。

皆に源って何?と聞いてみましたが、わからないと言っていました。
源とは何でしょうか。
よろしくお願い致します。

2024年1月16日 17:26

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

しっかりと生きて下さいね

拝読させて頂きました。
あなたは恩師の方からいずれ全ての人は源にかえっていくと言われて実際のところどうなのか?と疑問視なさっておられるのですね。詳細についてはわからないですけど、あなたが迷っておられることは伝わって参ります。お気持ちお察しします。
その恩師の方がおっしゃっておられる様に、それぞれに与えられた命や人生を有効に利用なさっていかれることはとっても大切なことでしょうね。自分の生活についても修行と考えていけばどんなことでも尊いことであり無駄なことなどないのかもしれませんよね。
源にかえることは今仮に借りている自分の身体は与えられた寿命を終えた後にはもとの自然に戻っていくということにもつながっていくのかなと私は感じます。とはいえど明確な答えは無いのかもしれませんが、その答えはそれぞれに自分の人生を生き切ってからわかるのかもしれません。
いずれにしろどうかあなたの与えられた命や時間や様々なご縁に感謝なさりながらしっかりと生きて下さいね。
あなたが与えられた命を大切に生き抜いていかれます様に、大切な方々とのご縁の中で活かし切っていかれます様に切に祈っております。至心合掌

2024年1月16日 21:32
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様

ご回答頂きましてありがとうございました!
私も最初は生きるのは修行だと思っていました。辛いとか苦しいやだなっと思っていました。
しかし回答を読ませて頂いて、何事も尊く無駄なことはないとわかりました。
少し考え方を変えるだけでだいぶ楽になりました。

源はいつか人生が終わるときまでに解るようになりたいです。
これからまだいろいろ経験して考えて行きたいです。
ありがとうございました!

「生きる意味」問答一覧

私は何のために生きているのでしょうか

お坊さん、こんばんは。 心が千切れて粉々になって、誰にも頼れずしんどくなった今、ふとここの存在を数年ぶりに思い出して投稿してみました。 下手くそな文章でしたら申し訳ないです。 私は二十代の社会人の女です。 以前から仕事をしていて、同じようなミスが減らなかったり、そもそも間違いを見つけることが出来なかったり、そういった事で「やる気がない」「何度教えてもだめだ」と指摘を受けることが多くありました。 周りの人間に見放され、どんどん居心地が悪くなってうつ状態に陥り、病院に行ったところ、診断結果は「発達障害」と、周りからの圧力や叱責による「うつ病」でした。 今まで自分が何故上手く仕事が出来なかったのか、それは全て発達障害のせいだと指摘され、涙が止まらなくなりました。 私にはきょうだいがいますが、障害を持っているのは私だけです。親も親戚も、誰も障害を持っていません。 それなのに、私だけが障害を持っていて、そのせいで周りからの評価に苦しめられ、結果うつ病にまでなってしまいました。 なぜ、私だけがこんなに苦しい思いをしないといけないのでしょうか。周りを見れば、「普通の人間」で「普通に仕事が出来る」人ばかりで、なぜ私はそちら側の人間にならなかったのかと、日々悔やんでも悔やみきれません。 父や母は「発達障害に産んだつもりなどない」と私の病気を否定し、誰も私の辛さと向き合ってくれません。きょうだいも、私が病気や障害のことを打ち明けた途端距離を置くようになりました。 私は発達障害者になりたくてなった訳ではありません。うつ病にだって、なりたくてなった訳じゃない。 周りは理解してくれないし、薬も合わなくて廃人のようになる日も少なくなく、休んだ後に職場に行けば周りからの目は白い。 こんな状態で生きていけません。 私は何のために生まれたのでしょうか。 今まで何が楽しくて、何に生きがいを感じていたのか、もう分からなくなってしまいました。 今は奨学金を返さないと死ねないと思って何とか死なずにいますが、昨日もやっぱり辛くて首を吊ろうとしてしまいました。 こんな質問してごめんなさい。 でも、もう私も何をどうして生きれば良いのか分からなくなってしまいました。

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何かを機に、自分をたまに見失います

こんばんは。 いつもお世話になっております。 高校3年生の頃から考えることはありましたが、最近になって再び、生きる意味を考えることが増えました。昨年に新しい環境、新しい暮らしが始まり、有難いことに友達もできました。最初は、友達ができたことに嬉しく、心の拠り所になっていました。ですが、時間が経つにつれ、価値観の違いがあったり、相手の良くない態度で、自分で自分を苦しめることが増えました。なんでそう思えるのか、私が何か気に触ることをしたのかな、と些細なことを無駄に考える時間を費やし、疲れ果てました。ですが、いざその子がいなくなると、寂しい部分もあって、今思えば、依存していたのかもしれません。4月からまた再び、新しい年が始まりましたが、彼女と話すことが一段と減りました。前回と同様、依存だと分かっていても寂しさがあります。他の友達といると少し羨ましがったり...でも、頭のどこかでは、もしかしたら、離れる縁なのかもしれない、離れていっても追いかけることないんじゃないか、無理にまた自分が楽しい時間と辛い時間のギャップを受けて、自分を苦しめるのではなく、自然に身を任せてもいいんじゃないかって考えがあります。 いい縁は例え別れてもいつか再開して戻ってくるはずって思ってしまいます。今繋がっている縁を大事にしながら、自分から離れていった縁は追いかけずそのままに。 また、もうひとつ考えることがあって、心の底から幸せだと思える瞬間を、一生を共にする相手と迎えたいなとより思うようになりました。胸が苦しいときは尚更、私には、辛い時、嬉しい時を共有できる伴侶が出来るのか、と思うようになり、以前より鮮明に伴侶は誰か分からないけれど、その伴侶といるときの自分の姿が浮かんでくるようにもなりました。この浮かんだ姿は、将来の本当の姿なのかなと思ってしまいます。 何を機にこれらの考えになったのかが、分かりませんが、私、ちゃんと生きられているのでしょうか。この今の自分が、自分ではないみたいで、たまに分からなくなります。本当の幸せ、掴むことができるのでしょうか。今でも幸せは感じています。でも、これは自分にとって、本当に幸せなのかなって思うことがあります。ご回答をいただけたら、嬉しいです。

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昔の教え子と相撲をとり思わぬ結果に戸惑い

以前下記の質問をした者です。 https://hasunoha.jp/questions/66841 ご回答どおり教え子と相撲をとりました(スポーツ施設内の正規の土俵です)。 私は47歳、170cm、102kgの巨漢。彼は20歳、168cm、53kgの細身。 結果は10勝5敗で...彼の勝ち越しでした。 こんな結果になった原因ですが、私の体力が衰え過ぎでした。 日頃の運動不足に過度の喫煙が加わり、すぐに息切れしてしまいました。 そして脚の筋力はないのに体重だけはあるので自分の巨体を支えきれず、常に膝が伸びて棒立ちでした。 足腰が不安定な状態で彼に懐に潜り込まれ、私はまわしがとれないまま彼に双差しを許し、巨漢の私が細身の彼に真正面から寄り切られてしまう、という内容が大半でした。 最後の取組もこの負け方でしたが、土俵際に追い込まれた際あまりの苦しさに「まわしが、とれない」と声に出してしまう程でした。 私は、年齢差もあるので彼に負けるかもしれないとは思っていましたが、まさか幾度も真正面から寄り切られるとは予想していませんでした。 尤も、事前にまわしを締める際、私は羞恥心もあり下に短パンを履きましたが、彼は「男と男の勝負なので正々堂々と戦いたい」と、お尻を出してきました。この時点で、私は彼に気持ちの上で負けていたのかもしれません。 対決が終わった後、負けた私は寧ろ清々しい気持ちでした。 小学校時代は本当に華奢で身長も体重もクラスの男子で最低だった彼が、 私の巨体に物怖じせず相撲で真っ向勝負を挑んでくるほど強く育ってくれたこと、 女子にもよく泣かされる弱虫だった彼が、恥ずかしがらずにお尻を出してまわしを締めるほど精神的にもたくましくなってくれたことが、教師として嬉しくて仕方ありませんでした。 その反面、勝ったはずの彼の方が、どこか物悲しげで寂しそうな表情をしていました。 「勝てると思ってなかった」と幾度か言っていたので、私を本物の力士のように強いと思っていたのでしょう。 現実の私は、彼の思い描いていた姿ではありませんでした。10年の歳月はやはり残酷ですね。 彼に、電話か手紙で励ましの言葉を贈ろうと思います。敗者が勝者を励ますというのも変な話ですが、相撲の勝敗と勝負後の気持ちが逆だったので、私が励ます側だと思っています。何と言ってあげれば良いでしょうか。

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ADHDの私は社会でやっていけるのか

私は3年ほど前から心身の不調により心療内科に通っています。主な症状は鬱や過眠で、大学の授業にもあまり出席できず、通院状況を大学側に伝え、学生支援室から配慮を受けながら通学しています。はじめは睡眠障害と診断されていたのですが、昨年主治医からADHDと診断され、過眠によって朝に起きられないのもその特性によるものではないかと伝えられました。確かに私はADHDの特性としてあげられる不注意が多く、スケジュール管理や部屋の片付けが苦手で生活が乱れることが多いです。ただ、勉強はむしろ得意な方なので大学で実家を離れて一人暮らしを始めるまでその症状が可視化されなかったのかもしれません。 診断を受けてから今までの生活を見直し、同じ症状に悩む方々のライフハックを参考にしたり、自分なりに苦手なタスクを自動化する方法を考えたり工夫はしていますが、今年で大学4年生になるため、大学の学生支援室の方からも厳しいコメントを頂くようになりました。 周りの子達が就活を進める中で、あなたは社会でどうやっていくのか。朝起きられない、スケジュール管理ができないといったことは社会では通用しないが、卒業後あなたはどうするつもりなのか。といったコメントを度々貰うようになり、分かっていてもそういった言葉を聞く度に生きているのが嫌になってしまいます。社会から見れば自分が甘えた人間であることは言われなくても分かっています。社会に出たらどうするのと聞かれても、これが私の精一杯でどうすることもできないというのが答えです。 私は今大学院への進学を考えていますが、進学してもいずれ社会に出る日は来ます。その日が来るのが怖くて自分で選んだ院への進学という道さえ就職から逃げた結果のように思えてきます。大学もまともに通えない人間が社会でやっていけるのでしょうか。社会でやっていけない人間が生きる意味はあるんでしょうか。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ