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死後の世界について

回答数回答 2
有り難し有り難し 10

相談ではないんですが、人が亡くなったあとは、死んだら魂が入らなくなるのか?

天国と地獄はあるのか

亡くなったら魂は死後の世界にいくのか

死後の世界はどんなところか

詳しく知りたいです

2024年2月22日 22:08

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一般論ですか?

 こんばんは。魂のこと、死んだ後のことが気になるのですね。一般的なこととしては、このカテゴリに沢山の問答がありますから、まずはお読みになることをお勧めします。
 しかし私たちは同時に、「あなたが個人的に、それを問いたくなったきっかけや経緯」をお聞きしたいとも思います。これだけ情報が簡単に手に入る現代において、いま、あなたが問いたいというのは何があったのですか?
 お釈迦さまの方は84000あるとされますが、それは問いかけをする一人一人に対応した説き方があるからで、「対機説法」と言われます。
 どなたか身近な方がお亡くなりになったのか?自身の死後を考えたのか?誰かのニュースを見て思ったのか?動物や虫などの死を見てなのか?どれでもないか?
 仏教は、あなたが生きやすくなるための教えです。あなたがどんな縁で問いを起こし、ここに書き込んだのか。良かったら、そこから書き起こしてくださいませんか?

追記
えりさん、「お礼」欄の書き込み、有難うございます。ご縁のある方が亡くなられたのですね。謹んで私からもお念仏申し上げます。
 極楽をお伝えするのに、お相手がどのような状況であるかはきちんと見極めが必要なのです。「極めて楽だと言うなら、今この自殺を考えている現状よりは良いんだろう。じゃそれを実行してしまえ」と短絡的に理解されるべきではないからです。
 私たちの真意をご理解いただき、有難うございます。また気持ちに変化が出てきましたら、どうぞ問いを起こしてくださいね。

2024年2月23日 0:23
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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亡くなった後は導かれていきます

拝読させて頂きました。
あなたは人が亡くなった後どうなるのか?と疑問に思っておられるのですね。あなたがその様に思うことはとても自然なことです。あなたのそのお気持ち受け止めさせて頂きます。
私達は誰しもが亡くなります。与えられた命を終わり天寿を全うする時が必ずきます。
その時には必ず仏様や神様がお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。つまり先に亡くなられた方々と再会させて頂くのです。そして仏様や神様の前で一切の迷いや苦しみや痛みからも救われて心から安心することができご先祖様と一緒に何の憂いもなく清らかにご成仏させて頂くことができるのです。そして心穏やかに安らかに生きる人々を優しく見守り続けるのです。

生前中悪意や悪言や悪行を繰り返し行い沢山の罪悪を行い他者を傷つけて被害を与え殺したもの、その罪悪を心から反省せず懺悔もせず謝ることもしない、仏様も神様も信じないものは地獄行きです。そこで長い間自らの罪によって苦しみ続けます。

仏様や神様は全てのものをお救いなさって下さいます。

天国や極楽そして地獄については様々な経典類に詳細にわたり書かれています。ぜひお気軽にお読みなさってみて下さいね。そして仏様や神様やあなたのご先祖様を信じて下さいね。
あなたが仏様や神様やご先祖様を信じて天寿を全うなさる時には必ず仏様や神様がお救いなさって下さいます様に、ご先祖様があなたを優しくお迎えなさって下さいます様に心から仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

2024年2月23日 0:46
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます
なぜ急にそう思ったかにていて、私は精神疾患を持っていてちょうどお世話になってる人の大事な人が亡くなったらしく、自死と普通の亡くなり方の違いを考えたからです

ありがとうございます

自分の死後を考えたのもありますが私は精神疾患者で自死も考えたりするからです

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ