猫を轢いたかも
車の運転中、猫を轢いてしまったかもしれません。
数秒間、よそ見運転をしてしまいました。
猫を見たわけではありませんが、前進中、車が上にあがったような感覚がありました。すごい音がした、とかでもないです。
普段運転している時にもあるような感覚(道のでこぼこなどで)でしたが、よそ見をしていたので、何か轢いたのでは?と不安になりました。
ですが私は強迫性障害を患っていて、不安が強いです。普段から、轢いてないのに轢いたのでは?と思い、来た道を戻ることがあります。
今回は、急いでいたこともあり、来た道を戻りませんでした。
4時間後ぐらいに同じ道を通ってみましたが、猫の死体や何かが起きたあとなどはありませんでした。。処理した後かもしれませんが。。。
でも、轢いた猫が逃げて、逃げた先で亡くなってしまっているかもしれません。。
そんなことを思うと、よそ見をしていた自分が悪いのですが、とても辛いです。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どちらでも良いと思うこと
猫をひいてもひかなくても、どちらでも良いと思えれば、あなたは楽になれるでしょう。
まず、私達は日常生活で、知らないうちに様々な生き物を殺しています。
走行中の車に小さな虫がぶつかっているかもしれないし、もっと小さな細菌類については、お湯を沸かすだけでも無数に殺しています。
そんな中で、猫だけを特別扱いする必要はないのです。
私達は、見た目が可愛い猫や犬を特別扱いしたくなりますが、それは人間のえこひいきだと思いましょう。
また、浄土宗では、どんな悪人罪人でも
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えれば、阿弥陀仏がその人を極楽浄土に迎えてくださると説かれます。
つまり、仮に猫をひいたことで罪を背負ったとしても、南無阿弥陀仏と念仏すればあなたは極楽浄土に往生できる。
脳をひいてもひかなくても念仏すれば極楽に往生できるから、どちらでも良い。
だから大丈夫だと思いましょう。
この先、色んな不安要素に出会ったときも、
AでもBでも念仏すれば往生できるから、どちらでも良い、と思って
南無阿弥陀仏、
なむあみだぶなむあみだぶ
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を口ずさみましょう。
大丈夫、あるがまま、お互い様。
私もあなた同様にさまざまな罪や不安を背負っていますが、
そんな私達を仏様の大慈悲は見捨てないのです。
なむあみだぶなむあみだぶ
質問者からのお礼
ありがとうございました。