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この私が地獄に堕ちない為にどうするべきか

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私は小学5年生の頃にゲームで人を裏切りました。ギフトを送ってくれたら返すなどと言い、ギフトを送ってもらい,そのまま返さないでいました。最近はそのことを後悔し,1年前から裏切ってしまった人達に返すように努力をしました。しかし、そのゲームのアカウントが消えている方などには,お返しをすることが出来なく悔やんでいます。私が死後の世界について知ったのは裏切ってしまった後です。そのため,私は後悔し,そのアカウントで謝罪をしました。

質問です。

1そんな私は地獄に堕ちるのでしょうか

2地獄に堕ちることを避けれるのでしょうか?

3これからはどう生きていけば良いのでしょうか?

2024年3月22日 13:18

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談読ませていただきました。過去の行動を後悔し、謝罪をしたことは重要な第一歩です。以下は、あなたの相談に対して私が思うところを述べます。
1. 地獄についての考え方は宗教や信念によって異なります。多くの宗教では後悔し、謝罪し改善を図ることが許しや救済に繋がる可能性があります。過ちを認め、改善する意志を持つことは、自己成長や発展において重要なステップです。ちなみに、私は浄土真宗の僧侶ですがちゃんと反省すれば地獄に行くことは無いどころか極楽浄土(天国)に行けると説かれています。
2. 過ちを犯したことに対する後悔と謝罪は、新たな道を切り開くための大切な行為です。未来をより良い方向に向かわせる意志や努力は、過去の行動を補うことができます。自分自身を省み、他者との関わり方や行動に配慮することで、地獄に堕ちることを避けることができるのです。
3. 今後は過ちを犯さないように心掛けることが大切です。他者への思いやりや誠実さ、正直さを実践することで、自らを成長させ、他者への影響力を育むことができます。自己反省を継続し、誠実で親切な行動を心がけることで、未来に向けて良い方向に進むことができるでしょう。
以上を踏まえ、人間としての成長と自己啓発に焦点を当て、自らを知り、他者と共に成長するための方策を模索することが新たな出発点となります。あなたを応援しますよ。合掌

2024年3月22日 14:12
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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心からお祈りなさって下さい

拝読させて頂きました。
あなたは過去に人にうそをついて約束を破り裏切ってしまったのですね。そのことをとても後悔なさっているのですね。そしてそんな悪い自分が地獄に落ちてしまうのではないかととても心配なさっているのですね。詳細なあなたのことやその人とのことはわからないですが、あなたのそのお気持ちを心より受け止めさせて頂きます。
あなたがその様な悪い行いをしてしまったことを心から仏様や神様やあなたのご先祖様に手を合わせてありのまま心の中で告白なさって下さい、そして心から懺悔しましょう、仏様や神様やご先祖様そしてあなたが裏切ってしまった方や傷つけてしまった方に心から謝りましょう。今その人に会えないのであれば心の中でも誠意をもって謝りましょう。そしてこれからその様な悪い行いをしない様に心から仏様や神様やご先祖様にお祈りなさって下さい。そしてあなた自身にもお誓いなさって日々心掛けて下さい。あなたのその思いや謝罪や誓いを仏様や神様やご先祖様は全て優しく受けとめて下さいます、あなたを受け入れて下さりお許しなさって下さいます。またどうかあなたが決して地獄に落ちない様にと心から仏様や神様やご先祖様にお祈りなさって下さい。
私もあなたが決して地獄に落ちない様に仏様や神様やご先祖様に救って頂けます様にと心からお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
どうか安心なさって下さいね。あなたを必ず仏様や神様がお導きなさって下さいます、ご先祖様があなたをお迎えなさって下さいます。先に往かれた親しい方々やご先祖様はあなたを温かく迎えて下さり、再会し喜び合うことができるのです。
あなたがこれからの未来を決して悪しき考えや言葉や行いをなさらずに、善き考えや言葉や行いを進んでなさり、皆さんと一緒にお互いを思いやり助け合いながら健やかにご成長なさっていかれます様に、皆さんと心から幸せを分かち合い生き抜いていかれます様に、与えられた天寿を全うなさる時には必ず仏様や神様がお導きなさって下さいます様にお救いなさって下さいます様にご先祖様が優しく受けとめて下さいます様に心から仏様や神様やご先祖様に祈っております。そしてあなたを心より応援しています。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

2024年3月22日 16:13
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
過去に人を裏切ってしまった過ちに対し深く反省し,善い行いをしていこうと思います。

ご回答を頂いてから1日程が経ちました。
おふたり様のご回答を心に受け止め,深く反省をすることができました。そのため少し気が楽になりました。本当にありがとうございました。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ