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友達に戻ったことはない

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有り難し有り難し 4

今まで付き合ってきた人に対して、お別れした後にネガティヴな感情が湧くばかりで、相手の幸せを願えたことがありません。自分の生活も満足だし、楽しく過ごせているはずなのに、顔を見て湧いてくるのは楽しかった思い出ではなく、別れ際に私をほっぽりだした言葉ばかりです。
どうしたら心から幸せになってと思えるでしょうか。

2024年4月3日 19:45

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏様がすでに願ってくださっている

みちゅ様
はじめまして、よろしくお願いいたします。
色んな恋愛があり、色んな思い出、別れたときの傷やトラウマ…人それぞれにありますよね。

臨床心理士さんから聴いたのですが、「大好きだった人ほど、大嫌いにまで振り子が振れる」と言われました。
なるほど、確かにそれはあるかも知れないと思いました。どうでも良い人は(言い方は悪いですが)振り子も小さくしか振れない気がします。

お別れしたあとでネガティブな感情になった時は「ああ!私は今、ネガティブな感情になっているなぁ」と気づくだけで十分なんです。
「そんな私は駄目だ」と否定をしたり「もっと理想的な人間にならなければ!」とアレコレ考えると益々辛くなります。

松任谷由実さんの古い曲で
「ハートブレイク」の歌詞がありまして、「感謝して別れるのは小説だけ」と唄われています。
それぐらい、相手の幸せまで願える境地は滅多にないことだと言えるかも知れません。

みちゅさんがお相手の幸せを願わなくても、阿弥陀如来様は先手を打たれています。どんな時も、誰にもです。
言い換えますと、みちゅさんの悩みや苦しみも心配されていて、「すぐに助けるぞ、救うぞ。」と前のめりになっておられるのです。

みちゅさんが心の中でどんな悪いことを考えたとしても、誤って犯罪に巻き込まれるような事があっても
阿弥陀様は見捨てないのです。
人間が人間の頭で考えて「アイツは極悪非道だから絶対に地獄行きだ」と決め付けられてしまうような人も救いの目当てです。
「そんな馬鹿な?!」と思われるかも知れませんが、仏教を学び実践して行かれると「南無阿弥陀仏」と称えるようになって行かれることでしょう。
もちろん、これは価値観の押し付けではなくて、何教・何宗はみちゅさんの人生の流れの中で御縁があると思います。

矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、善人や完璧を目指すのではなくて、みちゅさんらしく生きてくださいね。
応援しています。

2024年4月4日 3:08
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はじめまして、薫衣(くのえ)きみこと申します。 私は、これまで心理...
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質問者からのお礼

夜明けのようなお返事をありがとうございます。
拝読して、阿弥陀如来様が彼らを救ってくれるならいいかという気持ちと、私は、こんな質問をしましたが、自分が他人の幸せを願える人にならなければという考えに囚われているということに気づけました。
そうですよね。完璧になれたらどんなに楽かと思いますが、私は意地悪だし、自分勝手なので、そういう所も否定せずみとめてあげられたらいいなと思いました。それでも頑張って生きているし、いつか救っていただける日が来ると信じながら...

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