救われない予感がします
浄土真宗に救いを求めた者です。しかし、考えてみると僕は阿弥陀如来様の救いを享受する資格がないのではないかと思いました。
これまで何度も食べ物を無駄にして、嘘をついて暴言を吐き
謗法罪や五逆罪に当たる様なことまで考えていました
過去に「家は浄土真宗だから、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるよ」
という言葉を聞いておきながら、前述の蛮行を辞めず、インターネットでは誹謗中傷や違法ダウンロード/アップロードをしてしまいした
これらのことをしておいて、僕は反省することも信じることもできず、聴くべき聴聞も説法もまともに聴けません
今日でも、極楽浄土はどれ程美しい世界なのか、僕の様な罪深い人間でも、救ってくださるのかと考えておきながら
時間泥棒に邪見、嘘などの罪を犯してしまいました
今後も邪見や、食べ物を無駄にする行為を繰り返してしまったり、都合よくクリスマスや阿弥陀如来様の恩恵を受けようとしてしまうと思います。もはや救われることなどあり得ない気がします
過去にも僕の様に、阿弥陀如来様の救いを得られる身でありながら、悪事をおこなった者が破門にされたと知りました
前述の通り、僕は心から反省することも信じることもできません
阿弥陀如来様を疑い軽んじ、これを書いている間も書いた後も、何度も動画サイトに移動するほど真剣さがありません。先程も破れば地獄に堕ちる法のことを、軽んじる様なことを言ってしまいました。僕はやはり無間地獄に堕ちるしかないのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは、とてもすごいと思います。
ご自身の心、考えに向き合うことが出来る。なかなか出来ないことだと思います。
ご自身がしていること、生き様が悪であるとそう思われてるのですね?
人はなかなか自分の悪い一面、悪行と思う事をしていても口に出したり文に起こしたり出来ない人の方が多いと思います。
良いことは言いやすいですが、悪い事を告白する事はすごく勇気が要りますしその事を話して周りの人はどう思うだろうと考えると心が苦しくなります。
ですが、あなたはその勇気を出して下さったのだと私は思います。
そして人の心は魔がさすものです。
ですがそれを知っているのが仏様です。
さらにあなたがおっしゃる、食べ物を粗末にする苦しんでいる蛮行など多く挙げられたその心がどれだけ辛いのか苦しいのか‥
人の心はとても苦しくたまらなくなってしまう時があります。
だからこそ阿弥陀如来は皆を救いたいと思いその誓いを叶え導いて下さいます。
あなたは苦しい中でも質問の中でも常に阿弥陀如来の事を考えていらっしゃいます。
その事を阿弥陀如来も見て下さっていると私は思います。
そして、ここからは私の推測です、間違っていたらごめんなさい。浄土真宗や阿弥陀さまへ話でお話しされていますが、あなたは、あなたの孤独やその孤独をあなたは周りに気付いて欲しいなどの思いがあるのではと感じました。多くの不安が有るように感じました。
誰かに頼りたいが頼り方が分からない、行き場のない心が阿弥陀如来の救いと言う言葉となって出て来たのではないでしょうか。
いつでも、このhasunohaに思いをぶつけて下さい。合掌
口先で南無阿弥陀仏と言えばよい
江戸時代にカリスマ的な人気のあった徳本上人という浄土宗のお坊さん(実際には浄土宗という枠に収まらない人だったかも)が、このように言ったそうです。
口先で 南無阿弥陀仏と言えばよい 心なくして申せるものか
と。
つまり、あなたのように頭の中で色々と心配や疑いや悪い考えを抱いてしまっても大丈夫だよ、口先に南無阿弥陀仏の念仏という「着信音」が出ているということは、信心という電波がそこにある証拠なのだから、必ず救われますよという意味ではないでしょうか。
姿形の見えない信心よりも、物理的にわかりやすい念仏を救いの証拠だと喜び、難しく考えずに南無阿弥陀仏の救いのチケットを取り出してニンマリ笑いましょう。
念仏というチケットは、極楽行きの権利を確認するわかりやすい物理的な証拠(切符)なのです。
その切符は何度紛失しても、南無阿弥陀仏と口ずさむだけで再発行されます。
質問者からのお礼
願誉浄史様
宮本龍太様
この様な自業自得の質問に暖かい言葉をかけてくださり、本当にありがとうございます。お坊さんの方々は本当に、人の心に寄り添ってくれる素晴らしい方々だと再確認致したしました