繰り返し見てしまう
ネットやSNS上の、好きな作品や人物に対するマイナスの意見や、荒れてるコメント欄が気になり、何度も見に行ってしまうということが多々あります。
たまたまそのコメントを見かける→そのアカウントやコメント欄から離れる→「何て書いてあったんだっけ」と気になる→また見に言ってしまう という感じです。
こんなことをしても「この意見はひねくれすぎ」「そんなに怒ることか?」と憤慨したり、落ち込んだりするだけというのは分かっているのですが、どうしても気になっては何度もそのコメント欄やアカウントを見に行き、確認したものを頭の中で反芻してしまいます。
このような「見たくないはずなのに気になってしまう」という衝動にどのように向き合えばよいのか、また、他人のコメントに感情を流されないようにするにはどうすれば良いでしょうか。
大学生です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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人は好奇心の塊
ご質問拝見させて頂きました。怖いもの見たさ、という言葉の通りで、人は未知なもの、特に自分にない感情や刺激にうえています。ですから自分が絶対に発信しない発言を怖いもの見たさで見たくなるというものですから、正常ではあります。でもこれをきっと見飽きる位見ると、飽きると思われますから、気にしなくていいのではないでしょうか。他人のコメントに感情が流されるのも自分が愛情や好感を持っていればいるほど、自分を傷つけられたように感じるため、感傷的になりやすいのだと推察いたします。これも慣れかと思います。反発心というか不満などの感情は大切だと思いますが、十人十色、千差万別、色々な人がいる、と思って流されることをおすすめします。 合掌
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
おっしゃる通り、いつもある程度すると見飽きるので、これからは自分のこの行動も他人のコメントもあまり気にせず、上手く受け流していこうと思います。