hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

法律と仏教のルールについて

回答数回答 1
有り難し有り難し 3

仏教のことについて、著作権法では私的利用の範囲なら
著作者に許可を取らなくても画像を保存するなどが許可されていて、権利者が無断での転載.使用などを禁止している場合でも法律的には問題ないそうです。
ですが、仏教ではこれが偸盗に当てはまる様な気がします
権利者が保存などを明確に許可していない場合(無断での転載や使用を禁止している場合も含む)また、無許可で作者がXなどで公開している作品の画像を保存するのは、私的利用でも偸盗として罪に当てはまるのでしょうか?過去に違反してしまったことがあったので、罪なのかどうかが気になりました

2024年5月10日 16:47

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

再発予防に励むことが修行☆

おはようございます。
難しい言葉を御存じですね。
偸盗(ちゅうとう)って言葉。

ネットを調べると、三業のうちの身業。五悪のひとつ。
「盗みだけではなく、物惜しみ、騙だまし合うことも悪であると述べる」など、解説はありますが、、、経典や出典について書いているHPは探せなかったです。

Nao11037様は、偸盗という言葉、仏教の経典で知った言葉でしょうか。
あるいは誰かが仏教の言葉だよってきてそう感じたり、
芥川龍之介のタイトルで知った感じでしょうか??

私は浄土真宗の末席にいるもので。真宗の聖典検索で『偸盗』という言葉を調べたんですが引っかかりませんでした。

そこで、真宗以外の友人知人に聞いたところ、不偸盗戒(ふちゅうとうかい)という言葉だとパーリ語(古代インドの言葉)で五戒受戒文というのがありました。

「私は、与えられていない物を我が物とすることから離れる学処を受持します。」
とあるようです。
「我が物とする」ことから離れなさい。執着手放しなさいというメッセージかと思います。

こうなると、保存の行為後の所有が論点となりそうですね。
「私のモノ」になるとよろしくないですが
「私自身のモノにはなっていません」
「所有じゃなく期間未定の一時保存です。」
という解釈が仏教的には無難かもしれないですね。
(日本のシャバを生きてくうえでは著作権法が尊重されますよ)

あと、そもそも仏教は罪を裁く立場の宗教とは違う気がします。
再発予防に努め続ける。。。
戒を犯したときだけ騒ぎたてるのではなく、
「戒を犯さずに今日も頑張って偉かったね自分!」と日々の自分をねぎらう。
それがいちばんの修行ではないでしょうか。。。

+++
長部 波梨篇(はりへん)
33.等誦経(とうじゅきょう)
34. 十上経(じゅうじょう)に十悪の二で載ってます
++++++
お礼ありがとございます。
動画の切り抜きでしたか。今は許可必要なものが多いですね。
私の年代だと音楽が今のようにサブスクやアプリでなく1曲100円払ってカラオケで歌っていました。
動画やイラストも、自動生成のこともあり合法的に楽しめるよう近いうちに整備されてくると思います

日本仏教学院サイト拝見しました。
お坊さんではなく在家の講師さんのようですね。
悟りより幸福の追求を救いとする学派の方のようですね。

2024年5月11日 9:04
{{count}}
有り難し
おきもち

1973年生まれ。みずがめ座O型。1日1答を心がけます。 福井県社会福祉...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

泰庵様、ご回答ありがとうございます。偸盗と言う言葉を最初に知ったのは、日本仏教学院というサイトで罪の一つとして聞きました。著作権の問題に関しては、昔は動画編集が趣味で様々な画像を集めて編集に使っていたのですが、やっぱり辞めておいた方が良さそうですね。動画編集と編集に使う画像集めを辞めることも、執着を離れて再発を防ぐ一つの修行かもですね

「仏教全般」問答一覧

お金なんて要らんと貫いた心

神仏への信仰心がとても篤かった医療人のお話です。 その人は幼き時に難病で視力を失い、家督を譲って琵琶法師と鍼師のどちらかを選ぶときに医の道を選んだそうです。親には「二度と家の敷居をまたぐでないぞ」と突き出され、入門先の師匠は「素足に埃が付いたら掃除やり直し」覚えも良くなく、ある日鍼を持たせてもらった時には、患者さんが痛さで悲鳴と怒号のクレーム続出…ことごとく破門。 後がなく生死をかけ岩屋に篭もって断食修行、無我の境地で空腹に転び手にした松葉(鍼のような)と、くるまった落葉を元に、のちの管鍼法を発案。「これなら患者さんも痛がらずに下手な自分でも施せる」心の清らかな和一さん、あれよあれよと出世し果ては将軍の病まで治癒。「よくやった和一よ、褒美を与える。何でも申せ」と将軍、ところが見返りを求めなかった和一先生、儲けは要らんと一旦断るも、当時の上下関係では言語道断。お互いにプライドがゆるさず譲り合わなかった末(流石の将軍もこれで諦めるであろうと、盲目の自分に)「ひとつ、目が欲しゅうございます」と頓智を効かせたところ「わかった」と将軍は引き下がり、しばらくして江戸の一ツ目という地名の土地に、「盲目と老体が遠方まで行かずともお参りできるように」と江ノ島の弁財天様を勧請、老いても尚熱心に参詣を怠らぬ和一検校を自分のケアスタッフとして「そばに置いておきたかった」のもあり、治療院のみならず弟子の養成所と神社まで併設、そして今も残るそうです ハンデがあっても自立して生きていける術を磨く、世界初の視覚障害者用職業養成機関は、実は江戸時代に「盲目となり家を出され、師弟関係も破門され…住むところもお金もなく、仕事のセンスにも恵まれず…只管に神仏に手を合わせ続けた」信仰篤き偉人の苦労の先に日本で生まれた逸話、私は大好きです! 話が長くなりましたが、私も勉強をし指圧師となって施術をしたいと毎日仕事に明け暮れています。元ヤン僧侶さんは「目標が半端ねぇ。もっと効率的にガッツリ考えろ」と喝を入れてくださいました(笑)息を吸うように朝日が昇れば仕事が入ってきて、6月は休みなしで母の日から連勤達成更新中です。今の仕事も好きですが、やっぱり指圧を専門学校で学びたい。 先日お寺でふと仏様から「前へ。只管に進みなさい」と声が聴こえた氣が…私の指圧を喜んでくれた母の為にも入学が叶うようエールをいただけますか。

有り難し有り難し 6
回答数回答 2

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ