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日本宗教史の中での伝統の一形態、と理解しても良いと思います
日本に仏教が伝来した際、「如来」「菩薩」は外国の神様として理解され、疫病や災害から守ってくれる神様として信仰されたと言われています。
参考文献 堀一郎『日本の宗教』大明堂
仏教が日本に同化していく過程で、「如来」「菩薩」と日本の神は同体であるとする説が登場に、後に本地垂迹説と言う学説に体系化されました。寺院の中に鎮守と言って、仏法を護る護法神が祀られるようになりました。鎮守としてインド伝来の天部や金毘羅を祀ったり中国伝来の十王や布袋を祀ったりする他、日本の山岳の神である白山権現、熊野権現、愛宕権現、秋葉権現などを祀っています。
今日では、神仏習合とか神仏混交という言葉を否定的なニュアンスで用いる場合が多いようですが、むしろ「神仏習合」「神仏混交」こそが日本宗教史であると言えます。大社とか大神宮と呼ばれる大きな神社には、神宮寺と呼ばれる神社の事務運営を取仕切る寺院がありました。寺院の中の鎮守の祭礼を行うため、寺院の職員的な立場で神職が存在した例もたくさんあります。
神仏混交が常態化している状況下で、神社の中に僧侶が居たり、寺院の中に神職が居たりすることは当たり前の事でした。江戸時代までは、宗派宗教の垣根はかなり低く、おおらかでした。また、頭屋制といって、「神職が存在しない時代や場所では氏の頭人や宮座の長老が神主を務める制度がありました。地域によっては、正式な神職でなくとも、「村神主」「一年神主」として祭礼の主宰者となっていました。ご質問のように、住職が神主の役目に当たる例は、結構あったと思います。そういう伝統の下なら、掛け持ちしても良いと思います。
明治以降、神仏分離が行われ、仏教と神道の間には大きな境界線が引かれました。それ故、神社内の神宮寺は廃寺となり、寺院内で神職が祭礼を務めることは無くなっていきました。しかし、ご質問のように、現在でも昔の名残を残している事例も有るんですね。神仏分離以降の宗教制度を常識と捉えると違和感を感じるかもしれませんが、日本宗教史を見渡せば極めて当然の事と思います。
寺院・神社文化の存続者の減少
昔から神仏習合のお寺が沢山あります。
お寺とキリスト教が一緒になったお寺?教会?も長崎にはあります。
仏教でも禅と密教を併せた、禅密兼修というのは当たり前にありました。
私のお寺にも神社というほどの規模ではありませんが、金毘羅さまをお祭りする社があり、鳥居もあります。
一族が代々お寺の家計、神社の家系であって、相続する人が少なくなって、どうしても一人で両方運営しなければならないというケースなのではないでしょうか。
私とて好きで生まれてお寺に生まれてきたという訳ではありませんし(^<^)中にはやりたくないけど、一族の中で誰も継いでくださる方がいないが為に檀家さん、信徒さんから乞われて泣く泣く人生をお寺、神社に捧げざるを得ない人が多数いるという事も業界の真実です。
どちらも損なわず存続させている、維持して下さっている、というケースに限ってならば、よいのではないかと思います。
ただし、信徒さんからすると不信を買う、ということもあるでしょうから直接真意を問い合わせることをお勧めいたします。