生きる気力がありません
2年前に、顔面麻痺になりました。
顔面麻痺の後遺症で表情を作ると歪みます。
人は自分の顔なんから見ていないからと頭ではわかっても、笑顔が作れて生活出来ることが羨ましいです。同じ病気の方は、人生変わったと口にすることにすごく抵抗があるのに、いろいろな場面で傷ついたり、やっぱり病気前と変わったことを認めざるをえません。
主人の両親の病気介護、実母の病気介護が終わり、大学生になった娘との楽しみ、自分自身の人生もこれからと思ったのに、悔しさと絶望感をどうしたらよいのかわかりません。
性格は、人と過ごすこと、仕事では誰かの役に立つことが好きでした。
子どもが大学生になった時に、これからは自分も勉強しながら、自分の好きなことができたらと新しい仕事を始めたに勤めてましたが、頭ではわかっていても接客業だったので、笑顔を見るのが辛く、仕事をやめました。
自分のできる範囲内で何かできることを、ちょっとでもやってみようと思うことを、、等考えたり、私自身が子育てをする時に母を亡くしていたので、娘たちのためにも元気でいよう、等、前を向こうと思うのですが、、この先もずっとみんなの笑顔を羨ましい、、って思いながら生きるのか、、と思うと、この先が全く見えなくなります。
周りからは、今は何も考えずに、自分を大事にしたらいいんだよ、、とありがたいことを言ってもらえ、一瞬気持ちが変わったと思っても、また悲観的な考えに戻されます。
これから先、どのように生きたらよいのでしょうか。
病気の後遺症を受け入れることができない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当に大切なもの。あなたの全てを愛してくれる人たちがいますよ
それはお辛いですよね。周りの人の言葉にも、優しさにも、わかっていても、受け入れられない自分がいますよね。
毎日顔を洗うのですもの、その度に顔を触り、鏡を見て、やっぱり、自分なのに、自分じゃなくなってしまったようで、辛くて悔しくて堪りませんよね。
以前のように笑えない、自分を愛せなくなっていることにも、悲しくて情けない気持ちになりますよね。
事故に遭ってから、顔に傷が残った友達がいます。顔ですからね、ショックが大きくて。塞ぎ込んで引き篭もってしまってね。どんな言葉をかけても、どんなに想っても、彼女には届かなくて、会いたくないと言われて。彼女が一人きりで泣いていることが、私も辛かった。
あなたがおっしゃるように、やっぱり悲観的になってしまうのも、無理ないですよね。本人が一番辛いのだからね。
それでも、見た目が変わっても、世界が変わってしまったように思えても、あなたを大事に想う人たちの心は何も変わっていないのです。
周りの、「自分を大事にしたらいいんだよ」という言葉は、「あなたが大事だよ」という意味でもあるのではないかしら。
あなたには、一緒に生きてくれる人たちがいます。優しさを向けてくれる人たちがいます。あなたの顔だけじゃなく、あなたの全てを愛してくれる人たちがいますよ。
笑顔は、顔面だけじゃない。瞳や声や温もりからも、笑顔が出ます。その笑顔を、あなたと一緒に感じていきたい人たちが、ずっとそばにいてくれるのですよ。
私は、傷があっても、友達が大好きです。彼女自身が大好きだからです。今でも仲良くしています。彼女から笑顔が溢れて、それがとても愛おしい。
見えている表面は変わっていっても、中身は何も変わらず、想い合っていくのですよ。
誰にどのように見えても、どのように映っても、あなたらしさは そのままよ。
あなたの今を、ちゃんとわかってくれる人たちと、幸せになっていきましょう。
本当に大切なものは、何も変わっていないのですよ。
質問者からのお礼
こんなにすぐにお返事をいただけると思っていなかったのでビックリしました。
読ませていただいて、涙が止まりませんでした。同じように、何にも変わらないんだよ、とか、声や言葉や雰囲気で、笑っているように感じるよ、って言ってもらえていたこと思い出しました。
もちろん、またスポッと落ちてしまうこともあると思います。
その時にはまた、この文章を読んで、周りにいる大切な人を思い出します。
本当にありがとうございます。