無力無能
自分はいったい人生で何を成し遂げられるのか
18歳から働き社会人歴10年で転職5回 家族 母親、弟 恋人いてます。 借金50万 キャリアなし 夢 幸せな家庭を築く
雨にうたれることに怒りを覚えます。 人に気を遣いすぎてしんどいです。 仕事が長続きせず彼女を幸せにできるか不安になります。 転職回数が多く、彼女の両親から良く思われていないように感じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご質問自体が答えであります。
拝読させていただきました。
「自分はいったい人生で何を成し遂げられるのか」
この気持ちを持つこと自体にとても意味深く、人生というものを軽んじず充実したものへ自身の心を良いように変化させています。
人生に答えはなく、各々が抱く目標や夢などの目的意識が人生を形成していく単純な道理でもあるのです。
人生は長いようで、難しくもあり簡単でもあります。それは人生の考え方や捉え方次第で変わってきます。
「明日があるから今日一日くらいはいいか」と思う人々がほとんどです。しかし、その一日一日が一年、一年の積み重ねが一生です。とても単純です。
その一日の"今"を切に生きよと釈迦は説くのです。
その"今を生きる中"に過去の苦悩となる出来事(後悔や失敗)、そして未来となる老いや病への不安などを"今に入れる"ことで、"今が重たくなる"のです。
仏教の道理は"ただ今を生きる"ことを念頭にするので、日本の人々は家に帰ると「ただいま」というのです。
この今を生きているのが事実にも関わらず、この今だけを生きてれていない人が99.9%です。
それを邪魔するのが「欲」と「煩悩」であり、思い通りならないことに煩悶する苦悩を自ら招いているという理論なのです。
好水さんは、「自分はいったい人生で何を成し遂げられるのか」のご質問は、大乗仏教の法則では理に適う思考です。
それは、"何を成し遂げられる"という欲は生きる力です。"何が"は、誰かのためや世間のためなど『利他』という他を救う思考であり、この自身の命はどうすれば自分が喜んでくれるのかと到達されると思います。
人間、生まれたときから生き方を知る人は誰ひとりもいません。生き方に差別もなく、生き方を比較することもありません。一度きりの人生に「自身にありがとう」といえる人生にできれば最後は幸せだったと必ず思えます。
「何を成し遂げられるだろうか」は、自身の可能性という種から芽を出そうとしている段階です。可能性は無限であると信じてください。
かのベートーベン が「努力しても成功するとは限らない。しかし成功している人は皆努力している」とあります。そこに成功しなければヤル気が出ないとなればダメなので、成功は約束されないが努力すれば成長は約束されているのです。
成長すれば明日には昨日の自分を超え、新しいヒントが芽生えます。
合掌
見つめ直すことの意味
拝読させて頂きました。
あなたが人生で何を成し遂げることができるのか?と思っておられるのですね。あなたがそう思われるお気持ちもわかる様に感じます。あなたの思いを受け止めさせて頂きます。
私もふとそう思ってしまうことあります。自分は一体何を成し遂げることができるのか、何をしてあげることができるのか、これから何をなすべきなのか等々考えてしまいますよね。
その様に自分自身に合間合間にお向き合いなさって確認していくこと自体もとても大切なことだと思いますし、人生に意味を見出すことにつながると思います。
あなたがその様にご自身の歩んできた道のりを見つめ直してこれからの未来を心から豊かに自分なりに充実した毎日を生き抜いていかれます様に切に祈ってます。そしてあなたを心より応援しています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。