何事にも身が入らず意欲がわかない
ここ数年の間に両親を立て続けに見送り、実家も処分しました。
ここのところ、気持ちがふさぎがちで仕事にも全く意欲がわかず何をしても上の空です。
なにか自分の役割が終わってしまったように思え、もう仕事辞めようかなと思ったり、何もかもリセットしてどこか遠くへ行ってしまいたいと思ったり。
重い病気になっても治療は拒もうとか、直葬散骨がいいなとか、思い浮かんでくるのはそのようなことばかりです。
親や実家を失ったことが影響しているのでしょうか。年齢的なものでしょうか。
残りの人生を全うするために、この先どのような心持で生きていけばよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
向かい風のときこそ試されている人生です。
拝読させていただきました。
立て続けなるご両親のご逝去こころよりお悔やみ申し上げます。またご実家の処置等さまざまに至るまで本当にご苦労様でした。
役目が終わったような無気力になるほど懸命に挑まれていたこととお察し申し上げます。
人は何か夢や目標を叶えることは一般的には手の届かないようにことでもありますが、夢や目標に限らずマラソンランナーなどでもゴールすると疲労と安心と達成感などが一気に押し寄せます。
それはやり切ったからであり、後悔ないほどに自身を超える力を出し切る反面、脅威な疲労感も訪れます。
ゴールするまでの気力や思考を念頭していますが、ゴールした後のことまでは考えないのが常です。
うにくらげさんは清浄な心の持ち主であり、実直な性格とも感じます。
今、訪れている「意欲が湧かない」ことはごく自然の心の現象です。そこで、その意欲が湧かないときこそ、意志を立てるのです。もちろん馬力は必要ですが、しかしここからが うにくらげさん の人生の本番となります。
人生には追い風や向かい風が誰にも訪れます。追い風のときは馬力、気力がなくとも人生の風を難なく運んでくれます。
しかし、向かい風のときこそ"試されているのかな我人生"と捉えてください。
この向かい風が吐いている今こそ、立ち上がらなければご両親様は悲しむことです。
親は旅立つとき、親が不在になっても「幸せになれよ!」と願いをこの世に置き、子に託し旅立ちます。
自分だけの力では超越できないからこそ、仏と成ったご両親様の意思を「他力本願」として、自身の力に加え、邁進して見てください。
乗り越えたときこそ、墓前やご仏前で堂々と「幸せにやってるから!」と報告してやってください。
仏様と成ったご両親は微笑んでくれます。
この機会こそ、立ち上がれる良き機縁なんだと捉えて見てください。
合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。
一人で背負っていたことを認めて頂けたようで少し気が楽になりました。
気持ちを切り替えて前に進めるようがんばってみたいと思います。