受動意識仮説 自由意志論を知って
前野教授の意識は受動的で無意識がやったことを自分がやったと錯覚しているだけという受動意識仮説、そしてそれに伴う自由意志はないという考え方を先日知りました。わたし自身、魂の存在を信じているわけではありませんし、科学的に神経ニューロン、体内細胞で私達が作られているということはよく理解できます。ですが、実際に私が意思決定していないと言われると、わたしはどこにいるのか、何がわたしなのか、これまでのわたしが歩んできた道はわたしが選択していないのか、と不安と恐怖で胸がいっぱいで辛いです。脳もわたしなのだから、わたしの意思決定だろうと考えますが、それはわたしではないのでしょうか。私とはなんなのでしょうか。私を大切にするとはどういうことなのでしょうか。
脳に操られているという文章もみて、理解はできますが辛くなりました。また、自由意志論についても、ネットの情報を色々みて、悲観的に考えてしまい辛いです。自由意志はないのだから、気楽に生きていこうという考えも見かけますが、わたしは自分で自分の道を切り開いていきたいと考えてきます。それは難しいのでしょうか。不可能なのでしょうか。
拙い文章で、難しい内容を話してしまい申し訳ありませんが、受動意識仮説、自由意志論を知った上で、どのようにそな考えを捉え、生きていけばいいのか、アドバイスをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「無意識」の理解が重要
前野教授の理論から「わたしとは何だろか」と疑問が起きて、不安や恐怖になったのですね。
「実際に私が意思決定していないと言われると、わたしはどこにいるのか、何がわたしなのか、…と不安と恐怖で胸がいっぱいで辛いです。」
私は恥ずかしながらこの理論を初めて知りましたが、調べてみて逆に不安や恐怖は感じなくて自然に受け入れられました。前野教授曰く「心は脳の神経回路網が作った幻想に過ぎず、死んだら炭素や水素などでできているこの肉体は風と土に戻り、死後も残る霊魂なんてないのだろうなあ、と私は思います。だから、好むと好まざるとにかかわらず、私たちは死後には風になって、世界中を吹き回るんだろうなあ、と思います。受動意識仮説を論文や本に書いた頃から、そう思っています。もちろん、スピリチュアルな世界を肯定する人がいても構わないと思うのですが、私は、心の問題はすべて科学的に説明可能、と考えます」【参考文献】・『脳はなぜ「心」を作ったのか ── 「私」の謎を解く受動意識仮説』(筑摩書房、2004年)
私は次のように解釈しました。
ノコさんの「意識」よりももっと深い所で「無意識」が重要な働きをしていること、ここがなかなかイメージできていないのかな?と。
まず、誰かがリモコンで
ノコさんの脳や意思をコントロールしているとは考えられませんから怖くはありませんよね?
意識は氷山の一角にすぎない// フロイトによれば、私たちが認識できている「意識」は、自我と超自我の一部だけであり、心の大部分は海の中(=無意識の領域)に埋まっています。
オプラ・ウィンフリー、タイム誌に取り上げられた女性。
スピーチからの言葉です「私が問いかけているのは、より大きな意味での「私は誰?」
「私は本当は誰なのか?」
「何を求めているのだろうか?」中略
あなた自身の人生の運転席に座るのです。
そうでなければ人生の方があなたを『運転』してしまうでしょう。」
人生は自分で切り開いて行けますが、色んな心理学の学派の考え方があります。例えば、幼い頃に書いた脚本の人生に無意識的になってしまうとする学問もあります。
私も昔は考え過ぎて「怖い!」と思ったことはありましたが、神経症的なだけでした。
たくさん勉強して良い経験をされましたね!
これからも前向きに学んでください、応援して
います。
過去と現在は別人
細胞は新陳代謝で入れ替わり、心は瞬間ごとに生じては滅しています。
だから、過去の自分と今の自分は別の物体であり、今の自分と未来の自分も別のプレーヤーなのです。
明日の自分が今の自分の計画したとおりにプレイしてくれる保証はありません。
今のあなたができることは、今できることをやって明日の自分にバトンタッチすることです。
また、過去の自分と今の自分も別人で、今のあなたができることは、昨日の自分から記憶データというバトンをもらった後のプレイだけです。
記憶データを相続しているから同一人物だと錯覚しているだけです。
無意識どころか、今の自分の意識が存在していなかった昨日の、別人のゲームを受け継いでいるのです。
未来も思いどおりにはいきません。
ただ、選手に対する監督みたいに、一応選手(1秒後の自分)に指示は出せます。
1秒後の自分が指示どおりプレイできる保証はないのです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。