怒りの手放し方を知りたいです
何年も前に子供が乳幼児突然死で亡くなりました。
四十九日の法要の日、親戚は法要を終えた後その足で近くで行われていたイベントに遊びに行きました。事前に調べて計画していたと聞き怒りが込み上げてきました。子供の死を軽んじられたように感じました。
その時から、親戚との付き合いが苦しくなってしまいました。
その後また子宝に恵まれ、とても嬉しくて幸せな半面、また死んでしまうのではと不安になっている時に、赤ちゃんが生まれたから、もうの亡くなった子の事は吹っ切れるわねなどと言われ、悪気はなく、良かれと思っての言動とは分かっているのですが、また悲しくなってしまいました。
何年たっても、次の子が生まれても、亡くなった子に対する気持ちは変わらないのです。今でも鮮明に思い出して苦しくて涙がでてきます。
もう何年もたつし、親戚付き合いが盛んな家族なんだから、私もいつまでも執着しないで、わだかまりを水に流せばいいのにと頭では分かっているのですが、なかなか心がついてきてくれません。
なんとか心穏やかに、怒りを手放して、よい距離感を保てるようになりたいのですが、自分ではどうしていいのか分かりません。
どうしたら自分の気持ちをうまくコントロール出来るのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
手を合わせて生きてゆこう!。
きなこさん。こんにちは。突然に赤ちゃんを亡くされたのですね。辛いですね。苦しい年月を過ごされてきたのですね。でも、前を向きましょうね。亡くなった赤ちゃんがきなこさんの家のこれから起こる悪いことを、持って行ってくれたから家族無事に暮らせていると考えては如何でしょうか。そして、この先も私達を見守ってくれているんだと思ってください。。毎日、亡くなられた赤ちゃんに、線香をお供えして、今日も見守ってください。と手を合わせて生きていきましょうよ。亡くなった赤ちゃんをきなこさんの心の中で成長させてくださいよ、今何歳になりましたか。共に生きて行きましょう。ママ元気出してよ!。聞こえてきませんか。。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
小さい体で我が家の災いを背負って逝ってしまったこと、また、背負わせてしまったのかと思うと涙が止まりません。
大切な子供を守れなかったのに、母親が楽しく生きていて良いのかと罪悪感を感じてしまいます。
ただ、やはり生きていかねばならないので、何とか頑張りたいと思います。
今でも欠かさず月命日に家族みんなでお墓まいりに行っています。これからもずっと続けていきます。