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大切な人を傷つけてしまいました

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大切な人を傷つけてしまいました。

その人のことは本当に尊敬しています。
詳しくは書けませんが、とある勝負事にて不正をしてその人を勝たせようとしてしまいました。

しばらくして「こんなことしてもあの人は喜ばない」と気づき直前で辞めたものの、結果的に相手を傷つけてしまう事態になってしまいました。

自分の未熟さを本当に反省していますし、後悔してもしきれません。

正直に言おうとしましたが、あんなに応援してくれてた人に裏切られた…となると、追い打ちをかけてしまう気がして言い出せません。

どうすればこの罪を償えるでしょうか。
死んで償えるのならそうしたいくらいです。

2024年8月19日 10:32

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

償わなくても良いのでは

未遂で終わったのなら償う必要はないと思いますが、そうではないということでしょうか?
あなたが不正をやろうとしていたことは、相手にバレていて、相手を怒らせてしまったのでしょうか?
まず、未遂に終わったのなら法律や何らかの規則上、ペナルティなし(償い不要)かもしれません。
ただし、相手を怒らせてしまって許して欲しい場合は、これは個人間の感情の話なので、相手によっては何をしても許してくれないかもしれませんし、許してくれた場合も、相手との人間関係が少し違ったもの(良くなる場合も)に変わる可能性があります。
「死んで償えるなら」という点については、あなた自身が情けなさや恥ずかしさから逃れたい(穴があったら入りたい)という気分でしょうか?
仏教では、心は無常であり一瞬ごとに変化すると考えます。
辛さや恥ずかしさは、無間(すき間なし)ではなく、永遠(終わりなし)でもないのです。
たとえば、1日を秒単位で細かく観察すれば、一日のうちにも失敗や過ちの記憶を思い出していない瞬間(辛さのすき間)というのは無数に生じているのです。
「償いたい(楽になりたい)」という気分にも、実は必ず休憩時間があるのです。
その休憩時間があることに安心感を見出してみてください。
トイレに行く瞬間には過ちを忘れている等、日常的に心の休憩は起きているはず。
また、たとえば歌を口ずさむとか、瞑想や念仏等により、意図的に思考の切り替え(休憩)を行うこともできます。
ただし、お酒やギャンブル等の刺激で誤魔化すのは副作用の危険がありますので、体一つで可能な気分転換方法がおすすめです。

2024年8月19日 12:45
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