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なぜ「差」があるのか?なぜ、この世があるのか?

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有り難し有り難し 121

生まれた時から親に愛され大切にされる人、親に虐待されて死んだり辛い思いをして過ごす人。

お金に恵まれお金で苦労せず一生過ごす人。生まれた時から貧乏だったりお金に恵まれず色んな事を我慢し、やりくりに苦悩しながら生きる人。

なぜ、そんな差があるのですか?後者のため死んでしまったり辛くてストレスで病気になってしまう人もいます。

前世が関係していて、カルマ、業があるからと言うのでしょうか?でも前世の記憶はありません。この世ではただ差があり辛いだけです。

なぜ、皆一緒で幸せではなのでしょうか?

色んな宗教では「人と比べない」と言われますが比べてしまいますよ。

子供に「なぜ不公平なの?差があるの?」と聞かれたらなんと答えればいいんでしょう?

人それぞれ違った人生があり、この世での学びがあるのだから人と比べても仕方ない。と答えたとしてもほとんどの子達はその後も人と比べて苦しんだりするでしょう。

もっと、ちゃんと人を救えないでしょうか?

自分より悪い状態や環境の人をみて、まだ私は良い方だ。上を見たら辛くなるから、辛くらない方を見て知って自分はまだ大いに恵まれている方で、世に中にはもっと大変で過酷な環境の中頑張って生きている人がいるんだから、不満や不足ばかりをみたり嘆いてはだめだ、感謝して生きよう。

それで、本当にいいんでしょうか?

上下、誰とも比べない。と言われてもそんな立派な人はそういません。比べて自分のこの世での位置を確認し差について色々思います、人間ですもの。

お金、親や配偶者の愛に恵まれているあの人も、悩みはあるものですよ。と言われても、その通りだと思います。人は皆、大なり小なり、多かれ少なかれ、悩みがあるものです。でも、大か中か小、多いか少ないか、の差があるのはどうしてなのでしょうか?あまりにもその差が大きすぎる様に思うのです。

この世は混浴界。なぜ、あえてそんなものを創ったのでしょうか?この世なんかなく、ただ光のままで、善、愛しかないのでよかったのではないでしょうか?苦しんだり、苦しめるくらいなら、無で、空で
皆が幸せで愛に包み込まれて一つのままでよかったのでは?

悲しむ人、苦しむ人は見たくないです。

出来るだけ多くの色んなお防様のご意見が頂けると幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずあなたの悲しみ、苦しみを見つめ、あなたが救われてください

なぜ差があるのか?なぜこの世があるのか?

わかりません。
わかることは今、この世があり、そこにあじさいが様がいて、その世の中は差に満ちているということです。
そして人はその差を比べてしまうということも事実です。人間の自我は母(他者)との比較から始まり形成されていくので、人間はそもそも比べることでしか物事を考えられないのも事実だと思います。
良いか悪いか、多いか少ないか、好きか嫌いか・・・皆が自らの物差しで考え比べあい、優越感にひたったり、劣等感にさいなまれる世の中です。

比べるなといっても比べることしかできないのが人間です。しかし比べることでは解決しないことも事実です。

なぜ差があるのかを問うても、差があるという事実が目の目に立ちはだかるのみです。人間が人間の頭で考え努力し制度を整えて、なくしていけるような差もたしかにあるでしょう。しかしどこまでいっても差がなくなるということはないでしょう。
天上天下唯我独尊です。天の上にも下にもあじさい様という人間は唯一人で、あじさい様は他の人と違うのです。すなわち差があるということです。

しかしそれは凡夫の無明の目で見た表面的な差であり、仏様の智慧の目で見るとみな本質的には平等な「いのち」を生きているのでしょう。
その世界に目覚めていくのが仏教ではないでしょうか。

仏教の幸せとは「相対的な幸せ」でなく、「絶対的な幸せ」でしょう。比較や善悪感からの解放です。
「あの人と比べてどうだから私は幸せだ」、なんてものではなく、「私が私で良かった」という自体満足の救いです。それはあきらめや、妥協や自己満足ではありません。「事実を明らかに知る」ということです。
差はある。しかしその本質は平等である。あじさい様が言う所の「空」であるでもよいでしょう。空であるが故に平等である。本来、空であるものが今ここに縁に因って生起しているから尊いのである。

尊い平等ないのちの世界に目覚めていきましょう。

「悲しむ人、苦しむ人はみたくない」

その気持ちが悪いとは言いません。しかし、その人が悲しんでいる、苦しんでいると決めているのは誰ですか。
まず、あじさい様が救われてください。あじさい様が救われるということは皆平等に救われるということです。皆が幸せで愛に包まれるということです。

仏の智慧の目をいただいていきましょう。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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仰る通り。

あじさいさま

まさに仰る通り、世の中は一人一人、誰一人として同じではない、即ち、不公平、非平等であります。

もしも善と愛だけであったあじさいさまの仰る世界であれば、hasunohaや社会のセーフティーネット、婚姻、などというものは全く必要なくなるでしょう、まさに理想であります。

しかしながら現実はそうではありません。お釈迦さまは「世界の生きとしいける全てのものは幸せであれ」と願っていらっしゃいます。

どういうことでしょうか、少し考えてみれば、いいことばかりではない世界にあって、同じ生き物同士、支え合って命のある限り生きていきなさいということではないでしょうか。
本当のところはお釈迦さまにしかわからないけれども、その言葉に思いを馳せた時、なんとなく伝わってくるものではないでしょうか?と私は思います。

とはいえ、支え合っていくことすらもままならない、自分を支えていくのでさえ精一杯な世の中です。一つ一つの命が、お互いにお互いを支えていっている道理や因果、縁に気づき善き世界に近づいていくこれが仏教のいうところではないでしょうか。ただ、教えがあってもそれにトライ、実践していかなければならないのです。上手、下手、出来た、出来ない、ではなく。「やってみる」ことが大切でそこから色々学ぶことが個人的には多い気がします。何するにせよ、自分のカラダを通して経験したり、先人の残した足跡の上に、に答えはあるのではないでしょうか。そこから学んで生きてみてはいかがでしょう。嘆いてばかりでは何も変わりません。
死んでホトケさまになるのではなく、生きながらにしてホトケさまの様に、智慧を持って慈悲深く生きて行く術を身につけ、「学び」や「努力」をしていく、ここにご自身が救われていくのでなければ「仏教」としては本意ではないのですね。

私もまだまだ精進に至らず、生意気を申し上げましたが、一つのアンサーとして回答させていただきます。感謝。合掌

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有り難し
おきもち

こんにちは。 埼玉県秩父市のお寺で住職をさせて頂いております、野村圭秀と...
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「色即是空」「空即是色」を知る!

仏教ではこの世は「一切皆苦」すべてのものは苦しみであるとされています。
ここでの苦は「思い通りに成らない事」を苦といいます。
「差」を感じる心はやはり「思うがまま成らない」心が存在するからです。
「差」即ち「苦」を否定する事はこの世を否定する事となるのです。

この世に生まれた瞬間から苦の世界で「四苦八苦」が始まり思う様にならない時を過ごしますがこの苦をどう受け止めるかで善にも悪にもなり幸にも不幸にも成るのですがこれも人其々で「差」があります。
簡単に言えば、この「差」がもたらす苦、迷い、悩み、を善の行い。真実の生き方として説いているのが仏教です。

苦の世界を認め「覚悟」する事で迷いから解かれまた迷い覚悟して解きの繰り返しのこのよです。
しかしこの苦があるからこそ泣いたり、笑ったり、怒ったり、感動したり、感謝、絆、思い遣り、の心が生まれてもくるのです。
今、熊本震災があり苦しみの中に人々が居ます。しかし色んな人々が助けようと集まり真実の心を配ります。そこには絆、感謝、思い遣り等が大きく広がっている熊本に今私も感謝しながら此処に懸命に生きてます。

人は皆一人では生きて行けない!と言う歌がありましたが正にこの世は苦しい時誰かが居てくれたなら苦しみもその分減るのです。楽しい時は誰かが居たら何倍にもなるのです。

今生きて居る事をしっかり受け止め何が真実なのかを見つけながら死んで行くのです。しかしこれが難しい!

貴女は今を逃げたい苦しみたく無い、嫌な事ばかり生まれた意味に疑問が何時も付きまとう。
どんなに考えても答えを探しても「差」「この世」の答えは出ないでしょう。
生まれたなら「只、懸命に生きる事」そして死んで仏国土へと赴きまた此の世へ苦しみの世界を只生きる為懸命に生きる為にうまれる。

「色即是空」とはこの世に姿、形を持って生まれこの世の存在を肉体で確認しやがて誰もが訪れる生者必滅を迎え消え去って行き生まれる前の世界「空」へと戻るのです。
「空即是色」は、正しくその逆の事となり「空」の世界より「色」の世界へ生まれて来ます。
佛の世界では何時如何なる時にも目に見える事、見えない事は別の世界でなく一つの世界として捉え真実の在り方を突き進んで説かれています。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ