旅先での供養
父に誘われ京都の神社やお寺をめぐるツアーに参加することになりました。父は生前母と行った場所をめぐりたいそうで付き合ってあげたいと思っています。
私の娘は今年の2月に、母は6月に亡くなりました。
気持ちはいつも亡くなった娘のことばかりで、旅行なんかに行って楽しめるのだろうか、そもそも楽しんでいいのだろうかと思ってしまいます。
供養のためだと思えばなんとか気持ちも晴れるのではないかと思い、旅先でも娘のためにお地蔵さまがいれば、地蔵菩薩の御真言を唱えてもよろしいでしょうか。
家では毎日般若心経や、地蔵菩薩の御真言等を唱えています。
神社や、お寺の宗派などもあるので、何か娘のためにできることや、やってはいけないことがあれば教えて頂きたいです。
娘の供養と言いながら自分が楽になりたいだけかもしれません。
後悔ばかりで何をしても苦しいです。
大好きだった母の事すら悲しむ余裕がありません。
まとまりのない文章になってしまいましたが、よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心のままに(強いて言うなら善行為を)
旅先で、特にやってはいけないことも、ダメなこともありません。
真言も唱えて良いです。
強いて言うなら、布施(お賽銭や、他人へ大切なものを譲るなど)や、怒らないこと(特に害のない生命は慈しむこと)を意識し、亡くなった人の分まで善い行い(罪滅ぼし)をしてはどうでしょうか。
布施とは、お寺に寄付することばかりではありません。電車で席を譲ったり、他人に笑顔や優しい言葉をプレゼントするのもお布施です。
亡き人の分まで善い行い(罪を犯さないことも含む)をすることは貴いことです。
とは言っても365日それは難しいので、お彼岸やらお盆やら、法事のときやらに期間限定でやるのです。
旅行の期間に、何か善い行いができれば理想的ですね。
真言やお経を唱えるのも仏教的には善い行いの一つです。
妄想雑念を制御して真言に集中したり、お経(仏様の教え)に親しむことで、悩み苦しみストレスを減らすテクニックが身についていく。
仏教的な善とは、自分や他者の悩み苦しみを減らすのに役立つ方向性を意味します。
難しく考えず、遠慮なく旅を楽しんで来ましょう。
ただし、ケチ(お金を払いたくないという怒り)は悪の心なので、気持ちよく払える範囲内で無理をしないように、また、お店の人達の幸せ(利益)を喜びましょう。
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございます。
いろいろなことが、お布施になるのですね。
前向きに旅行に行けそうな気持ちになりました。たくさんご提案頂けたのでできることからやってみようと思います。
娘のことがあってから、人とコミュニケーションが取れなくなってしましました。
人に優しくするのも娘のためになるのであれば、人と係ることも少しずつ慣れていかないといけませんね。
善い行いは苦しみも減らせる、という言葉が今の自分に当てはまり、言葉がすっと心に入り響きました。
少し経つとまた同じ悩みでぐるぐるしていまいますが、何度も読み返していきたいと思います。ありがとうございました。