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死ぬことや病気に対しての恐怖心が強いです

回答数回答 1
有り難し有り難し 23

はじめまして。
わたしはタイトル通り死や病気に対しての恐怖心がとても強いです。
そのことについてお坊さん方のお考えをお聞かせいただきたく投稿いたしました。

わたしは様々な体調に関する不調があるとすぐにネットで調べて不安になり、病院にかけこみます。
医師から様子を見ていいと言われても『もっときちんと調べてもらった方が良かったのかもしれない』とまた別の病院を受診することもたびたびあります。
家族は『本当に心配性』『そんなに気にしてどうするの』『なったらなったで受け入れるしかない』と言いますし、私も頭ではその通りだと理解はしています。
しかし、病気になって、しかも余命宣告を受けるようなものだったらどうなってしまうのだろう。
自分がそうなったらその状況に耐えられるはずがない。
死んだらまだ幼い子ども達はどうなるのだろう。
そう思うと、病気が怖くて仕方がありません。
実際に婦人科系の疾患で経過を診ていたり、別のことで手術も経験しました。
さらには悪性を疑っての生検をしたこともあります。
子供がいるのに、そのたびにネットで調べ、この病気だったらどうしようと最悪の事態を考え、まだ病気と言われてもいないのに暗い表情で最低限の家事しかせずに落ち込んでしまいます。
主人にも、そういう性格だから仕方がないと思っているけど、子どもに対しては無理をしてでも明るく接して欲しい言われています。
病院受診が続いても主人は何も言わずにいてくれますが、私自身この考え方を変えたいと思い今まで本を読んだりいろいろな方法を試しました。

いまを生きる。
先のことを思い悩まず、目の前の一瞬にかける。
現にいまこの時も私なんかよりもっと若くもっと幼くして病と闘っている人もいるのだろうと思うと自分の心の弱さが情けなくなります。
頭ではわかっているんです。
でもすぐに不安感情がその上に覆い被さるように乗っかってきてしまいます。
この先も自分だけでなく、子ども達も体調を崩したりするたびに毎回こうなるかと思うとこの考えを断ち切りたいのです。
何に対しても、私は理屈っぽいと思います。どうしてそう思うの?その根拠は?とつなげてしまうところも災いしていると思うのですが。
そんな私が、少しでもどん!と腰を据えて何があろうと例え重病になろうが運命だったと受け止められるようになるアドバイスがありましたらよろしくお願いいたします。

2024年9月20日 11:43

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

怖い中にも、安心できるものをたくさん持っているのですよ。

怖くて当然だと思うのです。だから調べたり、今を生きることを大切にしたいと思えるのです。
ただ、それに振り回されて、実際に病んでしまうこともあるのですよ。病は気からと言ったりもしますが、気持ちが沈むと、食欲が落ちたり眠れなくなってしまいます。心と体は連動していますから、影響を受けていくものです。

しかし、心持ち次第で軽くもしていけるのですよ。
精神的にも安定していけるように、生活習慣や体力づくりも心がけていきたいですね。その上で、自分の身体とどう付き合っていくのか。

心がけていても、人間はいつか老いて病んで命終えていかねばなりません。怖い怖いと言いながらその時を待つのでしょうか?

私は先に生きた方から多くのことを学ばせてもらいました。老いていく中に豊かな経験や繋がりを得ていき、病になれば体を労り その姿や生き方を見せていく。そうやって生き抜いていく生き様から、限りある命の尊さをしっかり焼き付けてきました。
また、死を迎えることを怖いことではなく、仏の世界へと生まれていき懐かしい方々に会っていける身であるのだと、仏様のお救いから聞かせてもらっています。

どう足掻いても避けられないことを、ちゃんと見ていくことで、自分の生き方を考える時間をいただいているのです。

あなたには共に生きてくれる家族がいます。支えてくれる周りがいます。死後も救い包んでくださる仏様がいてくださいます。怖い中にも、安心できるものをたくさん持っているのですよ。

2024年9月20日 19:11
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有り難し
おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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質問者からのお礼

お返事をいただいた日から何度も読み返しています。

『先に生きた方から学ぶ』
『生き様から命の尊さを焼きつける』

わたしは今まで、頭ではわかっているけどしばらくするとやっぱり不安がまた湧き上がる状態でしたが、何度も読み返す中で『どう足掻いても避けられないものをきちんと見る』
そのことがわたしに足りていないように思いました。
考えても仕方のないこと(妄想に近い、『〜だったらどうしよう』という考え)に頭が支配されて怖い、怖いと縮こまっていました。
まさに、縮こまるという表現が大げさでもなくぴったりなくらいです。

でも、怖くてもきちんと『見る』ことから始めれば、その先に亡くなったわたしの周りにいてくれた人たちの生き様やさらには死に様から、いまのわたしが受け取れるものがあるように思いました。

結局は不安があろうがなかろうが、そしてもしも病気になろうがならなかろうが、軸は何も変わらないということなのでしょうか。
いろいろ考えすぎてしまうわたしですが、変えられないものは受け入れてしっかり『見る』を胸に刻もうと思います。

お返事をいただきまして、本当にどうもありがとうございました。
ひとつの救いを得た気分です。
感謝いたします。

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