友達の言葉にモヤモヤしてしまいます
お世話になっております。
久方ぶりに相談したいことがあり書き込ませていただきました。
友人の言葉が胸に引っかかっています。
友人は既婚者でとても優しく大らかです。
常に仕事や資格の勉強に励んでおり、ご家族や職場の方とも良い関係を築いている素敵な方です。
そんな友人と久しぶりに会いました。
お互いつもる話をする中、私が現在の考え方や振る舞いをするに至った経緯を話すと
「苦しそう」
「昔のあなたも好きだったけどな」
「いつも笑ってて楽しそうだった」
「どうしてそんなにまともになりたいの?」
「気にしすぎだと思うよ」
と言われました。
私はこれまでの自分が大嫌いです。
感情的ですぐ怒って泣いて、かなりの無神経。
十八番は皮肉を使ったコミュニケーションと揚げ足取り。テンパると人の神経を逆撫ですることをする(言う)。
その上普通の人が持つ感覚(身だしなみや恋愛、結婚、育児願望など)もほぼなく、趣味に没頭する傍目にも気持ち悪い人間でした。
親からも変わっている、思いやりがないと言われます。友人が知らない、気にしすぎで片付けられないような出来事もたくさんあります。
この人間性を自覚してからは、以前相談させていただいたように自己改革につとめています。
最近では大概のことでは感情的になることはなくなり、心の熱量は減りつつもその分のんびり穏やかに生きられている今の自分が結構好きです。
仕事がうまくいかない時とダメ人間ムーブをしてしまった時以外、苦しいと思うこともありません。
そんな折に昔の自分の方が好きというような言葉を受け、なんだか今の自分を否定されたように感じてしまいました。
あんなに傍若無人な振る舞いをしていた人間が好きだったなんて大丈夫?
楽しい=笑ってないとだめ?
まともじゃない自覚があって苦しんでるのにそのままでいろと言うの?
100%苦しくない努力なんてある?
今の自分ってそんなにだめそう?
じゃあ今していることってなに?
あの子といる時はあの大嫌いな自分でいないといけないの?
こんな気持ちがぐるぐるとしています。
友人が純粋に心配してかけてくれた言葉をこんな歪んだ受け取り方をするなど人として最低だと感じています。
このような性根を直すためにはどういった心掛けをするのがよいでしょうか。
よろしければお言葉をいただけましたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
モヤモヤしても仕方ないコミュニケーションでしたね
はじめまして、辛いお気持ちを打ち明けてくださりありがとう御座います。
これは私の推測でしかありませんので、回答に間違えがありましたらお気軽にご指摘ください。
>私が現在の考え方や振る舞いをするに至った経緯を話すと
「苦しそう」
「昔のあなたも好きだったけどな」
「いつも笑ってて楽しそうだった」
「どうしてそんなにまともになりたいの?」
「気にしすぎだと思うよ」
と言われたのですね。
そんな折に
「昔の自分の方が好き」
というような言葉を受け、
「なんだか今の自分を否定された」ように感じてしまったのですね。
>友人が純粋に心配してかけてくれた言葉をこんな歪んだ受け取り方をするなど人として最低だと感じています。
私はまったく最低だと思わないです。
モヤモヤするのが自然なことに思います。
安心してくださいね。
コミュニケーションに
「裏面交流」というのがありまして
表面メッセージ
「今日は疲れたから早く帰りたいなぁ」
裏面メッセージ
「私を気遣って早く帰りたいと言ってよ」と心の中で思うことです。
私も昔、友人にカフェで「彼氏ができた」と嬉し泣きで打ち明けたことがあります。友人から「あなたには以前から片想いで好きな〇〇さんがお似合いだと思う」と言われて、
彼女は親切なのではなくて、支配欲が強いのかな?と思いました。
また、頼んでもいないのに「〇〇君を紹介しようかと思って…」と言われて違和感しかなかったです。上から目線だなと思いました。
nattyo9さんはとても努力家で次のステージに行かれることで、ご友人は置いていかれるような寂しさを感じたのかも知れませんね。
それなら「寂しいなぁ」と言ってくれたら誤解はないのですが、人間は何かストレスがあったりすると余計な一言を言い相手をモヤモヤさせたりします。
友人関係を続けるなら対等に同じ目線で会話をすることが大切だと思います。
自己卑下し過ぎるとまたトラブルが起きますから。
nattyo9さんがお幸せだと私も嬉しいです。
人は変わりゆくものものです
拝読させて頂きました。
あなたが友人から言われたことにもやもやしてしまい自分はどうすればいいのかと悩んでいるのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心より受け止めさせて頂きます。
あなたはこれまでの自分のことが嫌いでいたのですが、最近では感情の起伏もおだやかになりのんびり生きるようになったのですね。そんな自分のことを今ではとても好きになってきたのですね。
そんな中であなたのことを友人は「苦しそう」「昔のあなたも好きだったけどな」
「いつも笑ってて楽しそうだった」「どうしてそんなにまともになりたいの?」
「気にしすぎだと思うよ」と言われてしまい、今を否定されているように感じるのですね。
その人にとってのかつてのあなたの生き方やイメージは自然体でいいと思っておられるのかもしれません、そして今は苦しいと感じているのかもしれません。
しかし人はその時と共に移り変わっていくものです。あなたは今までの様々な出会いや経験の中であなたらしく感じて移り変わってきたのです。
ですから人がそう言ったとしてもそれこそあまり気にすることではないと思います。
その人のあなたのイメージと今まで生きてきたあなたの経験や蓄積はとても違いがあるのです。
ですから軽く流してしまっていいと私は思います。どうかこれからもあなたらしく生きていきましょう。
あなたがこれからも素晴らしい出会いや経験をなさり人として健やかにご成長なさっていかれます様に、あなたが求める生き方をなさり毎日を豊かに充実して生きていくことできます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
薫衣きみこ様
お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。モヤモヤするのが自然というのを見て、少し気持ちが楽になりました。
過去の体験のこと、さぞお辛かったと思います。聞かせてくださりありがとうございます。自分だけではないと安心できました。
色々と抜けていたので補足しますね。
友人の言葉について
会話中、思い出話から過去のことなど色々込み上げてきてしまい、愚痴と悩みをわっと話してしまったので、気を遣わせて言わせたような形です。
いつも余計なことを言ってしまうのは私の方です。
どちらかと言うと置いて行かれていると感じるのも自分の方で、
友人のようなしっかりした人間に近づけたらいいなと思って行動しているので余計に言葉が刺さりました。
友人には一人暮らし開始頃からおかしい、精神科に行った方がいいとも言われています。
むしろ一人になってから健康状態も性格も前よりは良くなっている気がしますし、今は心も落ち着いてるのですが、大丈夫と思わないでと言われます。
自分の感覚はあくまで自分のもので、客観的に見て本当におかしいのかもしれません。
身内でもなかなかここまで言ってくれる人はいないのでありがたく従った方がいいのだろうとも思うのですが、
友人と話すと嫌でも自分の人間性を自覚してしまい、周りに勝手に定義づけられたりした過去と重なって勝手に決めないでほしいなと思ってしまいます。
つまるところ全て私の逆恨みなのです。これが自分が最低と思う理由です。
これを含めて薫衣様の仰る裏面…と呼んでいいのかは自分ではわかりませんが、卑下しすぎるのもトラブルの元というのも重々感じました。
ひとまずはモヤモヤすることそれ自体は自然であること、そう思ってしまう自分がいること、そう考えてしまうような状態ということを受け入れてみようと思います。
長々と大変申し訳ございませんでした。
重ね重ねになりますが、この度はご回答いただき本当にありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様
お忙しい中ご回答いただきありがとうございます。
お言葉を読んでとても腑に落ちました。
確かに昔の私は今にとても自然体でいたと思います。
いつも楽しく笑えていたのも、自然に振る舞えていたのも「なにも知らず」「なにも考えなくてもいい」「こどもだった」からです。
自分が楽しければいいという自分本位の無神経だったのです。
たしかにそういう人はよくうつることもあるかもしれません。でもそれは害がなければの話です。
私は配慮ができずわがままに振る舞って関わる人の多くを嫌な気持ちにさせました。他人の気持ちにはひどく鈍感でした。今もそうですが…。
同じ子どもながら、周りがずっと我慢して付き合ってくれていたのだと今なら痛いほどわかります。
情けなくて申し訳ないです。
自然体でいることは大切ですが、自分はこういう人間だと受け入れることと、開き直ることはなんだか違う気がします。
その人間性に気づいたこと、直したいと思った気持ちが自分には大切なのではないかと思います。
大体の人から変わらないねと言われる中、長い付き合いである友人にこう思われたということは変わっている証拠であると捉えていいのかなとお言葉を読んでいて思いました。
あなた様の仰るように、あまり気にしすぎず自分を信じて努力を続けていこうと思います。
長々と大変失礼いたしました。
改めまして、この度は相談を読んでいただき、また温かいお言葉をくださり本当にありがとうございました。