疲れた。私祟られてる?明王の教えとは回答受付中
いつもお世話になっております。きょう、久しぶりに
いつもの祈願寺に参詣し、護摩に上がりました。
護摩の前、老僧さんに
「嫌な事がいろいろ重なって疲れた」
と愚痴ったら、老僧さんはにこっと笑って
「うけいれなさい」
とおっしゃいました。
「医師から止められていることもあって、それをして実際に
具合が悪くなったことがある」
と伝えると、老僧さんは、
「たとえば、ガンができたとしよう。ガンは、自らの
意思に反してできるよね。ガンができたらショックだけど、
受け入れなければ治療もできない。目を背けて放っておけば、
悪化して死んでしまう」
「嫌な事が起きたら、に関しては、自分の【スケジュール】
を決めておいて、【スケジュール】から外れた嫌な事が起きたら、
それにわざわざ関わらない。なぜなら、【スケジュール】が
崩れて、もっと不快になるのが人間だから。決まった予定が
崩れると嫌な気分になるよね」
「【スケジュール】に包含されている【嫌な事】(私の例だと
精神科の訓練、物件のトラブル対応など)を受け入れるんだ。
その【受け入れる力】の大切さを説いてくださるのが、不動
明王なんだよ」
・まず「今こういう状態なんだな」と受け入れなければ、
状況はさらに悪化する。
・受け入れることで、対処法が見えてくる
・自分のやらなければいけない事の妨げになるものとは、
関わらない。なぜなら、やらなければいけない事ができなくて
もっと不快になるから
というまとめに至りました。
しかし…最近は、あまりにも続きすぎています。もう疲れた。
それでも明王は、私に鞭を打ち、進めというのでしょうか?
それとも、私のこの疲労状態も、
「あ、今私、かなり来てるわ」
と【受け入れ】て、「休もう(ごろん)」という、ここでいう
「休息」という対処をすべきでしょうか。
明王の教えは、「楽な道に行くな」だそうです。ですが、
健常者障害者とわず、無茶をすれば体調を崩します。
「病気になってでも無理をしろ」ということでしょうか?
かなり危険な気がします。
私は、私の障害を受け入れる勇気を下さった明王の教えを
危険なものとは思いたくありません。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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無理なく取り入れながら、少しでも生きやすくしていきましょう。
確かにそうですが、受け入れ難いことも起きますし、受け入れるだけの余裕がない時もありますよね。
生きていると様々なことが身に迫るわけですから、全てを受け入れる先に生き方を見るいうことが、どれほど大変なことか。
優しくも厳しい教えでもありますね。
全てを実践していく必要があるわけではなく、自分の置かれている状態や状況に、無理なく取り入れながら、少しでも生きやすくしていきましょう。
嫌な事がいろいろ重なって疲れている時は、仏様に寄りかかりながら、休ませてもらい。体力が回復してきたら、そのエネルギーで、対処法にも挑戦していけます。
自分のバランスを壊してまで、今 受け入れるタイミングでなければ、急ぐ必要はないのですよ。
ゆっくり、歩いていけばいいのです。