現世の修行に耐えられないとき回答受付中
現在不安障害と鬱と診断されました。
精神科に行きましたが、薬が合いませんでした。
学校など、日常生活を自分を騙しながらおくっていますが、突然現れる鬱で、どん底に落とされ、あまりにもつらすぎます。
日常の活動をセーブすると、より自己嫌悪に陥るので、今までの積み上げを失うのが怖いので、何とか周りに追いつこうとしています。
鬱や不安がなければと毎日思います。私が病気になったことは、仏教では何か意味はありますか?
また、私より苦しんでいる人は、たくさんいると思いますが、私にとっては、毎日希望がなく、世界が暗く、つらいです。
現世の修行に耐えられなくなった場合、仏教では、どうなりますか?
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
積み上げたものも失わないわ。きっと霧は晴れていくからね。
あなたが今 暗闇にいるかのように、希望が持てないでいても、仏様はあなたを救おうと照らしてくださっていますよ。鬱の霧があなたを覆ってしまっているのでしょうね…
あなたがせっかく病院に通院されているのに、薬が合わないなんて、とても不安で 先のことを考えると怖いだろうと思います。
ですが、仏様はお見捨てにならないわ。霧が晴れるように、あなたを支えてくださる人は周りにもたくさんいますからね。薬も種類があり、あなたに合ったものが必ず、医師がしっかり診てくださいますから、信じていきましょうね。
仏様の光をちゃんと感じる日が来ますからね。
学校に通う分、疲れもあるでしょうね。自分を褒めてあげてね。あなたは、よく頑張っているわ。今のままでいい。無理しなくていいのよ。そして、ハスノハやお寺に休みに来てね。あなたはひとりじゃないわ。みんなと一緒に生きていますよ。置いていかれることはないからね。積み上げたものも失わないわ。周りも理解をしてくれる。だから大丈夫よ。あなたのペースで、みんなと一緒に霧を晴らしていきましょう。
桜が咲く季節になりましたがそちらも咲いているでしょうか?
桜は1年間ずっと力を蓄えて春になると短い間ですがきれいに咲きます。
それは私たちも似ています。
不安だったりしんどかったりする日々を過ぎれば楽しいこともあります。
ですから不安な時や鬱の時は静かに安静にしてくださいね。
無理に活動しなくてもいいですからね。
周りの人に合わせられなくてもいいですからね。
自分のペースで歩んでくださね。
さて、病気は誰もが避けて通れないことです。
お釈迦様は「病は先生、病室は道場です」と言われました。
病から学ぶことは多いのです。
身体や精神的な仕組みや医学的な知識を勉強する良い機会になります。
病を持つ人の気持ちや状況を理解できるようになります。
医師や看護師やカウンセラー、自分を助けてくれる友人など人との繋がりの大切さを知ることができます。
これらを通して人間として成長することができます。
あなたはより包容力のある魅力的な人になると思います。
ですから希望をもって生きてくださいね。
現世の修行を耐えられなくなったらどうなりますかとありますが、耐えられる範囲で耐えたらそれ以上の修行は止めていいのですよ。
無理をしないことが大切ですからね。
あなたが何を修行と感じているのかは分かりませんが、できる範囲でいいと思ってくださいね。100点満点じゃなくても60点~70点くらいで世の中のほとんどのことは解決しますからね。
心の病気は自意識過剰から
心の病を仏教的に見るとすれば、原因は自意識過剰ではないかなと思います。
仏教用語では慢が強すぎるからではないかと見ます。
慢とは自分と他者を比べて己惚れたり落ち込んだりすることで、躁状態の場合は仏教的には増上慢で自分が他者よりも優れていて何でもできるような気分になり能力を超えて勘違いしたり頑張ってしまう、鬱状態のときは卑下慢で自信がなくなりダメ人間だと思い込み心も体も動けなくなる、と見ます。どちらも、自我意識が強すぎて、他者や周りと比較しすぎて、うまく行かなくなっている状態です。
自我意識(仏教語で無明)が、欲と怒りという表に出やすい煩悩の親玉です。私が、欲しい、とか、私が、きらい、とか、問題の根本は、結局は、私という意識、私を他者と比べる気持ちです。自我意識は、電気や物理で言うならば摩擦で、せっかくの心のエネルギーが百パーセント使えずに無駄に失われている状態です。欲や怒りはその表れです。
仏教では、薬さえも、現実をぼやかしてしまう(痛みを感じなくさせる)ことになるので、特に心の病気の場合は、あまり勧めません。心が落ち込んだときは、ただ自分の心に向き合って、他者と比べたり勝手に駄目だと思い込むことをやめて、今いるところから始めます、でよいではないかと見ます。
自分の心を自分の心で治すなんて、簡単そうにも思えますが、実際には自分が、自分の心を変えないといけないので、大変だとも思います。
心というか我とか慢のからくりを知っておいて損はないと思い、お返事しました。気楽になっていただきたいと願っています。
念仏すれば極楽浄土に往生できます
浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を口に称(とな)えて極楽浄土に往生(転生)したいと願う者は、誰でも、どんな悪人罪人でも、その人の臨終時には阿弥陀さまが迎えに来てくれ、阿弥陀さまの力で極楽浄土に往生できると説かれます。
ですから、「極楽に往生したい」と思いながら
なむあみだぶなむあみだぶ
と念仏を好きなリズムで口ずさみ、まずは往生極楽(人生のハッピーエンド)を確定させましょう。
そうすれば、現世の苦しみに耐えらても耐えられなくても往生できるから問題ありません。
なお、お釈迦様は、生き物には必ず苦しみがあると説かれました。
瞬間ごとに苦痛や不満、対処すべき宿題がやって来て、一つ終わればまた次の苦しみがやってくる。
苦しみが無くなることはなく、ただその形が変わっていくだけ。
それが自然な生き物の現実なので、それは「世の中そんなもんだ」とあきらめるしかないのです。
人それぞれに形は違えど、苦痛や不満は尽きないのです。
質問者からのお礼
中田三恵様
お忙しい中、ありがたいお言葉をありがとうございます。
仏様が照らしてくださっていると伺い、心が安心して、落ち着きました。
積み上げたものを失わないとおっしゃっていただいたため、自分のペースで生きる勇気を持てました。
親身になってお言葉をかけていただき、ありがとうございました。
願誉浄史様
お忙しい中、ありがたいお言葉をありがとうございます。
生き物は必ず苦しみがあるため、わたしの悩みも特別なことではないと捉えられる強さを身につけようと思いました。
仏教の考え方を教えていただき、ありがとうございました。
聖章様
お忙しい中、ありがたいお言葉をありがとうございます。
桜のように、今は静かに咲く日を待とうと思います。
病から学ぶことができ、包容力のある人になれるとおっしゃっていただき、病と戦う意味が見出せました。
前向きになれる考え方を教えていただき、ありがとうございました。