功徳をつむ…のあり方
いつもお話し聞いていただきありがとうございます。
明るく前向きな考え方を身につけるために「功徳をつむ」という言葉を目にしました。大変興味を持ち、ぜひ具体的なお話しを伺いたくこちらへ相談いたします。
仕事もひと区切りとなり退職し今は義母の世話をしております。ボランティアや趣味の「己書」を用いての人や街との繋がりなど考えています。
また、介護も「功徳」となりますでしょうか?
新しい年、よいスタートとなりますようお言葉いただきたいと思います。宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思いやりや優しさが仏道へのご縁ともなれば、人生を豊かに。
世のため人のためにと、それが自分の喜びにもなり、大切な気づきへ向かわせてくれる。自分の意思でというより、仏様に仕向けられて、誰かを思える自分となり、心から行う実践業でもあるでしょう。
仕事としての介護職もあるでしょうが、そこに思いやりや優しさが仏道へのご縁ともなっていかれるのでしたら、それも人生を豊かにする生き方になっていくでしょうね。
仏様の存在を感じながら、あなたの来世が幸せでありますように。
善の癖をつけて悟りの種をまく
仏教における善とは、自分や他者の悩み苦しみを減らす方向性、煩悩(心にある悩み苦しみの原因)を制御したり、真理を悟って煩悩を消すことにつながる方向性です。
悪とは、自分や他者の悩み苦しみを増やす方向性、悟りにくくなる方向性です。
功徳とは、身体・言葉・意識において善につながる行いをして、悟り易い性質、つまり善い癖がつくことです。
反対に、悪い行いをして悟りにくい性質、悪い癖がつくことを悪業とか罪業とか言います。
そして、輪廻転生を想定すると、功徳や罪業は来世に持ち越されると考えられます。
功徳は、心の大地に悟りの種をまくことです。
種は必ずしもすぐに芽を出す保証はありませんが、それでも種をまき続けた方が幸せの花や悟りの実が成る確率が上がるのです。
また、回向(えこう)と言って、自分の功徳を他者に回し向けてシェアすることも可能だと考え、法事などで施主やお坊さんが善い行いをして、その功徳を故人に回向し、亡くなった人の来世での悟り(成仏)を応援する習わしがあります。
故人は死霊ではなく、新しい生き物(新しい赤ちゃん)として宇宙のどこかで暮らしているので、その幸せや悟りを願うわけです。
では、どうすれば効率的に功徳を積めるか。
仏教徒でなくても善い行いをすれば功徳になるのですが、仏教に従って行動する方がより明確に功徳につながります。
是非、仏教について調べてみてください。
質問者からのお礼
中田三恵さま 願誉浄史さま
貴重な回答いただきありがとうございます。私自身、生活に節目を迎え思うことがあり目標を見つけていたところでした。いただいた言葉を自分なりに解釈して、日々の彩りとしていきたいです。