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自分の価値を見いだすために

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有り難し有り難し 37

退職後、決まっていた仕事で条件違いにて結局は労働契約まで行かずに無職になってしまった事への自分への葛藤がたくさんあります。

応募しても応募しても、面接にいけどいけど、結局は決まらずお祈りメールと郵送費や写真代、交通費などがかさんでしまい「自分は価値がない人間だから受け入れてもらえない」と考えるようになりました。

何度も自殺を考えて、夫に「僕の稼ぎだけで暮らせるからもっとゆっくり考えていいのに」と言ってくれるけど、そんな甘え方も夫にとっても負担になるんじゃないかと考えてしまい、毎日どうやったら死へ向かうことができるか考えてしまいます。

趣味や今まで出来なかった語学の勉強を毎日やりながら、家事をしても果たしてこれは世間から見れば「喜楽な奥さん」みたいな取り方をされてしまい、それで悩むようになってしまいました。それも自殺を考えるの引き金にもなっています。

自分はこの世に果たして存在していいのか、労働力になるのか、そんな価値観を見いだせるようにするにはどのような事をすべきですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分自身より人生に価値を見出されて下さい。

価値や評価などというものは所詮、自分にはわからないもの。
相手次第で良し悪しが変化するものなのではないでしょうか…。

ご質問内容にもございますように、貴女が面接で幾度となく不採用になろうがそれは、面接官が受けたその時の貴女の印象、貴女の僅かな一面を見た上での評価に過ぎず、何のあてにもならない実に曖昧なものなのです。

その様な不確かなものに執着し自分の「価値」を見出そうとする事は思い上がり以外の何物でもありません。
先ほど申しました様に自分の「価値」は自分にはわからないもの、所有していても意味のない執着は早く手放すべきでしょう。

貴女は働くことに存在意義、価値を求めていらっしゃる節がおありですが、その前に「看脚下」です。
つまり自分の脚元をしっかり見つめ直す事、自分の今の立ち位置をもう一度確認する事が大事であると言うことです。

身近な存在であるご主人様が「自分の稼ぎでやって行けるのだから、ゆっくり考えていい」と言ってくれているのです。

何の曇りもない、価値や評価と言った物差し、色眼鏡の無い眼でありのままの貴女を受け入れてくれる一番の理解者「ご主人様」をもっと頼りとし、甘えて下さいよ(^^)

御釈迦様は「自灯明」と言って「自分自身を拠り所、頼りにしなさいと」と仰られていますが貴女はこれまで十分「自灯明」な生き方をしていらっしゃった事と思います。

これからは、その御釈迦様のお言葉には相反しますが「他灯明」(他(ご主人様)を拠り所、頼りにする)な生き方をもっとされても良いのではないでしょうか?

又仕事も今すぐに就かれなくてもよい恵まれた家庭環境に貴女はいらっしゃるのです。
その気になれば何時だって仕事は出来るではないですか。

もっと肩の力を抜いて楽に考えましょう(^^)

期限を決めて仕事の件は暫くお休みされ、凝り固まった身心をほぐし「喜楽な奥さん」に変身されて下さい。
周りなんか気にするこっちゃないです(^^)

趣味を楽しまれたり、今まで出来なかった語学の勉強に励まれたり、ご主人様とゆっくり旅されてみたり。
そうした生活の中にある有意義な時間にこそ「価値」を見出していかれる事の方が自分に「価値」を見出す事よりよっぽど人生において大切かと思いますし、何よりも貴女自身を豊かにしてくれるのではないでしょうか?(^^)

そこに「価値」を見出して下さい。

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おきもち

少しでも皆様のお気持ちに心を寄せて行けたらと思っています、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

「中道」

Another one様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる価値や意味などは、「これだ」と決まったものがあるわけではなく、色々な因縁(原因と条件)次第において変わっていくものでしかありません。ですので、「絶対にこれだ」というものもなく、人それぞれにおいても異なっていくものとなります。

Another one様は、「生きる価値」において、特に「働くこと」に重きを置かれているようですが・・

それだけではなくて、もっといくらでも見いだしていけますのに・・と思うのが正直なところでございます。

少し極端に物事を考えてしまれて、偏りが激しすぎるところがあるのかもしれません。

仏教でも、極端を避ける「中道」が求められることになります。

よくある例えとなりますが、琴の弦は強く絞めすぎると、音が張り過ぎて、あまり良い音が出なくなりますし、もっと張り、いずれ弦が切れてしまっては、音が出せなくなってしまいます。

しかし、かといって、弦を絞めるのを弱くしていくと、だんだん音に張りがなくなっていき、やがて緩め過ぎてしまっては、音が出なくなってしまいます。

強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところにおいて、琴の弦は丁度良い音が出せることになります。

人生も、その丁度良い塩梅において過ごしていきたいところとなります。

「これだけしかダメ」というわけではなくて、生きる意味や価値を、他にももっと色々と見いだせていけるのではないかと思いますので、もう少し考え方を柔軟にして頂きたいものでございます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

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