過去の言動の後悔が止まらない
過去の言動の思い出しと後悔が止められません。
先日、職掌転換と昇進試験を受けられることになりましたが、その際に声が大きいから職務上気をつけるように、同世代らは受けないからざわつくだろうけど頑張れと言われました(一定の要件を満たし、所属長と部署長に推薦される必要があります)。
声の指摘を受けてからは、声量よりも職場で雑談(昼休憩やトイレやエレベーター内)した際の言動をとにかく思い出してしまい落ち込んでいます。
あのタイミングはおかしかったのではないか、実は内心迷惑だったのではないな、配慮不足だったのか、言葉のチョイスがよくなかったのではないかなど、今まで忘れていたことも思い出し、なんで私はあんなことを…?と後悔しており、今は職場で誰かと話すたび、あの顔をしていたということは迷惑だったんじゃないか、となんでも後悔してしまっています。
試験に受かったとしても、あんな言動の人なのに…?とか、仕事は評価されたから試験を受けたんだろうけどちょっとねぇ…と言われるに違いないとずっと考えてしまっていて、いっそ会社を辞めたほうがいいのだろうかと思ってしまうこともあります。
念願だった試験のはずなのに、もう取り戻せない過去の言動とどう向き合い、これからどうすべきなのでしょうか。
とっさの雑談はしない、挨拶だけにする、天気のことしか話さないなど、心のなかでルールを作ったほうがいいでしょうか。
ずっと思い出し・後悔する作業が止まず前向きにもなれず、家族にも職場の上司にもこんなことは話せず(自業自得だろうと言われるはず)、でも普通の毎日を送らねばならないから苦しいです。
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慌ててますね
こんにちは。そもそもは「声が大きいよ」という指摘であったのに、そこから「勝手に連想して」会話の内容とか全般を自分で問題視してしまう、ということですね?
張り切って申し込みをしたところ、その指摘は盲点だったのでしょう。それを指摘され、あなたは動転している。今まで気にしていなかったから、何に気をつけなきゃならないか見当がつかず、さまざま試行錯誤している姿が「止まらない」と表現されていると推測します。
ただ、こういった「自分の言動総点検」は、悪くないかも知れません。恐らく、より責任を持つ立場になっていかれるのでしょうから、雑談の内容は問題ないとしても「聞くべきでない人に聞こえてしまう」のはリスクでしょう。
ということで、客観的な意見として「指摘されたのは言動(雑談の内容)ではない」ということを改めて銘じつつ、「誰が周囲にいて、誰の耳にこの声が届きそうか」、つまり「雑談時、その相手以外は視界に入らない」という状態なのかに気を配るようにすれば、よいと思いますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
動揺、そのとおりです。頂いた言葉を何度も心のなかで反芻していました。
胸に留めて試験をうけて生活していこうと思います。携帯のメモにも残して日々取り組みます。ありがとうございました。