母親を恨んでしまう回答受付中
40代です。5年ほど前に突然、母親と気が合わなかった?と気づき、それから坂道を転げ落ちるように本を読み漁ったり、カウンセリングに行ったりして、自分は母親のゴミ箱のように感情を受け止める係りとして生きてきたのでは?と思うようになりました。
それに気づいたこと自体は、自分の本来の姿を取り戻したようでスッキリしたのですが、母親の理想像(学生時代はいわゆるいい子、模範生、社会人になっても心配をかけないいい子)として長年生きてきた私は何だったのだろう…という気持ちが消えません。
お小遣いからプレゼントをあげても無駄使いだからいらないと言われたり、交通事故の現場写真を見せてきたので、人が傷ついた写真は見たくないと言ったら不機嫌になられたり、そういう母親でした。母親の好みに暗に誘導されて育ったんだな、という悲しみのような気持ち、欲しいものを欲しいと言えない気持ちなどが未だに渦巻いてしまいます。
もっと子どもらしくしたたかった、自分の好きな服を買ったり、好きな音楽を家の中で堂々と聴いたり(母親の好みでない歌手は下手~など言われてしまう)したかった。子どもだから、電車で窓の外をみたかった。歯並びが酷いのですが、お金が凄くかかるけど、矯正したい?と聞かれてしたいとは言えなかった。
成人式にふわふわのマフラー付けて行きたかった。(成人式は馬鹿にされていたので、式にすらでていません)
そういった気持ちがすでに40代になった自分の中で消えず、恨みになってしまいます。
同じ都内に住んでいますが、最近は理由をつけて会わないです。お正月も仕事理由に帰らないつもりです。
人を恨んだり、嫌なことを思い出して捏ねくり回したりしたくないのに、気がつくとずっとあの人(母)が憎い、人のことを思い通りにして…という考えが浮かんでしまいます。
気持ちをどのように持って今後、生きていけば穏やかに生きられるでしょうか?
長文になってしまい申し訳ありません。
35歳くらいの時に、母親と気が合わなかったのでは?と気づき、それから色々な文献を読み、カウンセリングにも行きました。 現在は夫、子どもととても優しい家族に恵まれ、幸せな状況だとは思いますが、ずっと心の底では満たされない、愛されたかった、子どもらしくいたかったという気持ちが消えません。
わがまま(お菓子買ってーなど)や、可愛い格好をしている小さい子どもを見ると羨ましくてイライラしてしまいます。
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反応しない練習をしましょう。
家族といえども、どの家庭において世間でいう"普通の家族"とはないものです。
その普通と思える家族と思える人たちは、「いちいち反応しない」ことを自然に行っているので、『執着』が起こらないことから家族に向けての「こうであって欲しかった」などが出てきます。
現在ランドセルの色は自由ですが、リサさんの時代でも黒赤の決まりがあったのではないでしょうか。
時代というものは日本限らず、どの国においてもルール(倫理・律)があります。
お母様が育った時代では、お母様の育った環境が普通(基準)であり、私たちの時代や環境や地域性などによって人の思想は異なります。
親を誰しも選べずしてこの世に生まれてくるので、生まれてきたときに貧乏であったり、夜逃げの連続であったり、私の幼少期の時(小学生)に、サーカス団の同級生がいました。しかし2週間で転校しました。「あの子は生き方を選べないんだろうな。友達を作ってもすぐに引越し(移動)するので、友達と仲良くなることも恐れ、仲良くなることで辛さが増すことも幼きながら知っていたのかな?」なんて、今でも考えます。
世の中には声に出さない人びとの方が実際には多く、何かしら過去にトラウマや現実に上手くいかず煩悶していたり、未来の予想とは裏腹な現在を過ごしていることが9割以上です。
ここで、大事なのが「反応しないこと」。どういうことなのか、相手(対人)にも反応しない、世間の在り方にも反応しない、そして何よりもすべてに反応しない自分自身の心が肝心要となります。
リサさんの「母親を恨んでしまう」ことは仏教では「怨憎会苦(おんぞうえく)」といいます。
すべては過去を追いかけている自分の心が起こしている執着となります。
世は"諸行無常"です。たった一度の人生を過去を捨てていかなければ、今の心境の中に過去を背負いながら生きることは自分自身の人生を重たくしているだけとなります。
上手く理由などを付けて、母親と合わないようにしているのならば、それでいいのです。
人間には多少なりとも欲求心理は存在します。ただお母様は「共感して欲しい」ということが文面から伝わってきました。
健康があるからこそ思えることで、これから友人付き合いも少なくなっている高齢でもあり、病気なども出てくれば寂しさは倍増します。
母親を助ける側に回るよう慈悲もときには起こす視野も心に入れていきましょう。