過去を思い出して罪悪感回答受付中
育休中で家にいる時間がが長いせいか、過去に自分がやってしまったことを思い出しては罪悪感でいっぱいになります。
学生の時、後輩が部活をやめてしまいました。私のせいかもしれません。その子は勉強を理由に辞めたのですが、あとになって同級生にあの子にだけ厳しかったよねと言われました。無意識でした。
最近その時のことを思い出し、頭から離れません。私はその子にひどいことをしてしまったと思います。
この気持ちをどうしたらよいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「今、ここ」にいることの大切さ
育児で家にいる時間が多いと、
深刻に考えてしまうことはありますね。今回のご相談は、るる様が
「今、ここ」にいないことで過去の後悔や未来の不安があるのではないかな?と思いました。
認知の歪み、代表的なものをあげます。
1. 白黒思考
物事を極端に善悪、白黒に分けて考えてしまう。
2. 過度の一般化
一つの出来事を根拠に、すべての状況に当てはめてしまう。
3. フィルター思考
状況の良い側面ではなく、悪い側面にばかり目が向き、全体像が見えなくなる。
4. 誇張と軽視
出来事の重要性を過度に大きくしたり、逆に小さく見積もったりする。
5. 思い込み
根拠のない確信を持ってしまい、事実と異なる解釈をする。
6. べき思考
「~すべき」「~しなければならない」という考えに縛られる
7. ラベリング
自分自身や他人を一つの言葉で決めつけてしまう
8. 心を読んでいる
相手の考えていることを自分が勝手に決めつけてしまう。
【これらの認知の歪みを特定する
方法】
・日々の出来事や思考を日記に書き留める
・記録した内容を見返し分析する
・本当にそうだろうか?と自問自答する
・一つの出来事に対して、別の解釈をする
・専門家のサポートを受ける
また仏教の「業」と「バチが当たる」についても考えてみました。
「私のせいで辞めたのでは」と思い悩まれていたので…。
まず「業」とは簡単に言うと
「自分の行ったことの結果」を指します。
善い行い→良い結果を生む
悪い行い→ 悪い結果を生む
私たちがこれまでに行ってきたこと、考えてきたこと、感じたことが、今の自分や未来の状況に影響を与えているという考え方です。
では「バチが当たる」とは?
一説には「バチが当たる」という言葉は、仏教の「業」の考え方が、一般の人々にわかりやすく伝わった形と言われています。それは、 道徳的な行動を促すため、人々に善行を勧めるためにわかりやすい言葉で表現されたそうです。現代では科学、医学や脳科学の視点からも人間の行動や思考について冷静により深く理解することも重要です。
①「業」は、単なる「罰」ではなく、自分の行動と結果のつながりを示すもの
② 「バチが当たる」という言葉は、道徳的な行動を促すための教訓
よって、辞めた理由を今さら証明することもできませんからね。ご安心ください^_^
そう思うことよくありますね
拝読させて頂きました。
今思い返せば自分自身のこととはいえどもどうだったかと悩んでしまったり悔やんでしまうことはありますよね。詳細なことはわからないですけれど、あなたがそう思ってしまうことを心よりお察しします。
人間は誰しも完璧ではありません、ましてや思春期や成長過程ではどうしても自分の思いが強くなってしまって他者を深く傷つけてしまうような言動や態度をしてしまうことはよくあります。それは決してあなたに限ったことではないと思います。私も今思い返してみるととってもひどいことしてしまったなと思うことがいくつもありますからね。
そんな時には私は仏様や神様やご先祖様に心から手を合わせて過去のことや自分の思いをありのままお伝えさせて頂き、心から反省し懺悔します。そして心の中で仏様や神様やご先祖様そして自分が傷つけてしまった方々に誠意をもって謝ります。そしてできるだけその様なあやまちや罪を犯さぬようにと仏様や神様やご先祖様お誓いします。
宜しければあなたも心の中で仏様や神様やご先祖様手を合わせてありのまま告白なさり心から反省し懺悔しましょう、そして心の中で誠意をもって謝りその様なあやまちを犯さない様にお誓い下さいね。
仏様や神様やご先祖様はあなたの思いを全て優しく受け止めて下さいます、あなたをお救いなさって下さいます、あなたを善き方へとお導きなさって下さいます。
あなたがこれからの未来に善き考えや言葉や行いを進んで行い、大切な方々とお互いを思いやり助け合い心豊かに生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っています。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
「認知のゆがみ」を見て、ハッとしました。自分のせいだけだと思い込んでしまいましたが、違うかもしれないと思うことができました。
自分本位だったあの頃から少しは成長できているのではないかと思います。これからも善い行い善い言葉で生きて行きたいと思います。
ありがとうございました。