私から奪おうとする人ばかりに見える…回答受付中
近づく人たちみんなが私からエネルギーを奪おうとしてくるように思えてなりません…。
私のことは愛そうとも気持ちよくしようとも思わないくせに、自分だけ欲しがって綺麗でいようとしやがって。って。
自分がそういう人を引き寄せてるのだとしても辛すぎる
楽になりたい死にたい。
家庭環境が悪く、母はヒスで毎晩父を罵倒したり私の遺書を破って冷たい言葉を吐いたり、息できないくらい踏みつけたり。不登校の時は酷い言葉を吐かれました。 母の愛を得ようと身を売って金を渡して愛を確かめてました。その時の客と生活。 幼少期は同級生からもいじめられ精神薄弱気味。神経質です。不器用な性格で常に愛に飢えています。恋愛依存やセックス依存を経て、空っぽな感覚を行ったり来たりしながら勉強や目標に向けて生きてます。小さな幸せや感謝を感じながら生きられるように日々精進してます。
欲望、期待や執着、怒り、寂しさ虚しさ。人と比べる。常に付きまとう恐怖心。見捨てられ不安。妄想癖。自己顕示欲。無気力。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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奪い合えば足りないが譲り合えば余る
あなたの感覚はけっこう正しいと思います。
生き物は、壊れ続け失い続け奪われ続けるものですからね。
私達はまだ割れていないシャボン玉であり、いつか必ず割れますからね。
ただ、どうせ奪われるなら誰に奪われたいか、誰に与えたいか、私達はそれをある程度は選ぶことができます。
また、大人の場合、自分独りだけを見るとしぼんでいく一方ですが、勢いのある若い他人を応援すること(家族や推し活等)で、他人の幸せを喜ぶことができます。
他人は無数にいるので、他人を応援したり喜べたら、死ぬまで飽きずに生きていけるかもしれません。
私が昔お手伝いしていたお寺の子供会で、和尚さんが子供達におやつを出す時間があり、そのときに、和尚さんが「自分のお菓子を取る前に、隣の人にお菓子を渡してあげよう」と指導していました。
その際に和尚さんが、「奪い合えば足りないが、譲り合えば余る」と言われていました。
日本人によくある「お先にどうぞ」「いえいえ、そちらから先にどうぞ」、飲み会でお皿に1切れだけ残った料理を遠慮して誰も食べない、そのような「譲り合えば余る」が世界を平和にするのかもしれません。
だから与える側、奪われる側のあなたは世界平和に貢献しているのかもしれません。
というか、そうとでも思わなきゃ人生やってられないよ!
追記
人生って辛いですね(泣き笑い)
質問者からのお礼
ありがとうございます。推し活も最近疲れてしまいました…しかし芸能人を応援するのもいいと思いました。自信がなくて与えるのが嫌なのと余力がなくて、相手に与えても損だとか後悔とか感じちゃって。
見返り求めないようにって頭で意識しても…、なんで私ばっか与えなきゃならないんだろうと思います。
もう安息が欲しい…。疲れた。