家族の死が怖い
先日、小さい頃からお世話になった叔父が亡くなり、葬儀に出席しました。葬儀の最中、叔父への感謝の思いもありながら、そしてとても不謹慎なのですが、私の大好きな両親そして兄の葬儀のことを考えて、私は耐えられるのだろうかと考えてしまいました。私は普段から将来への不安を抱えやすく、特に高齢出産で私を産んでくれた両親の死に対してすごく恐怖を抱いています。最近特に1人でその事について考えては泣いています。親にもこのこと話していますし、日頃から少しでも恩返しをしようと感謝の言葉だったりものを買ったりと心がけてはいるつもりです。今は実家にいますがいずれ県外に行こうと思ってますがすごく親のことが心配です。私はその時がきたら耐えられるのでしょうか。この不安、恐怖をどうすれば良いでしょうか。
どう前向きに生きられますか。
どうかお助けくださいませ。よろしくお願いいたします。
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愛別離苦という宿命
むむ子さん お悩み拝読しました。叔父様のご葬儀を通して、他のご家族との別れを想像してしまうのは辛いことですね。
お釈迦様の教えの一つに愛別離苦という言葉があります。私たちは出会いがあれば必ず別れがあるのです。大切な人との別れは、想像すると辛いですよね。だからこそ、今のこの瞬間を大切にしなければならないのです。高齢のご両親へ、一緒の時はできるだけのことを、離れていても感謝の気持ちで接することができれば良いですね。
「またね」と言って別れても、また会えることは保証されていません。病気、事故、災害などはいつ起きてもおかしくなく、生きるということは当たり前のようで奇跡に近いことなのです。だから、いつどんな時も、感謝の気持ちを持って過ごしたいと思います。これは、私に対しての自戒でもあります。
むむこさんに、そう思う機会を与えていただいて感謝しています。
泣くことを許す。
むむ子 様
確かに自分のことを含めて、愛する家族の死は受け入れ難く
恐怖に苛まれるかもしれない。
悲しい感情に覆われて、何もできなくなったり
パニックになるかもしれない。
だからこそ、泣いていいのです。泣くことを自分に許そう。
感情のままに誰かに気持ちを聴いてもらおう。
あなたは独りではないし、家族の支えもあるでしょう。
色々な周りの人の繋がりもあるでしょう。
だから、支えてもらうように、頼れるように準備をしておくのです。
安心安全感を得られる準備です。
さらに、死は一つの通過点でしかないということも意識しておくと良いでしょう。
縁があり、絆や繋がりは、肉体の死をもって切れるものではないし、無くなるものではありません。
記憶に残るし感覚も蘇らせることができる。
供養をし続ければ、ご先祖様の喜びも感じるようになるでしょう。
さらにご先祖様もあなたも仏様に護られていることも信心によって得られることもできるでしょう。
恐怖は不安は心の中の一部分の感情でしかないのです。
泣くことを許し、支えてもらい、穏やかさを得たら
安心も感じることができる。
その人がいなくても、記憶をたどり、絆や繋がりを感じれば、心の温かさを感じることができるのです。
つまり多面的に心は動くものだと理解しておくのも良いでしょう。
そして、自分を責め得ることなく、自分を許して、
恐怖だけに覆われることはないのだと、今からわかっておきましょう。
参考にしてください。一礼
質問者からのお礼
皆様ありがとうございます。
参考になりました。