自己責任論の捉え方について
自分を責めてしまう自己責任論から抜け出す方法はあるのでしょうか?
幸いなことに自分は両親や環境に恵まれ、自身も五体満足に成長し、特に不自由を感じることなく生活を送ってきました。一般的に不幸と呼ばれる事柄にはに遭っていないと思います。
だからこそ、自分が出来なかったことの責任が全て自分にかかってきてしまうようで辛くなってしまいます。
誰かのせいに出来れば多少は楽になるのかもしれませんが、現実には物語のような悪役も悪事もありませんでした。
何かが出来なかったのは誰のせいでもない=自分のせい、と考えてしまうのはやはり間違ったことなのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大事なことは責任追及に終わらず、そこから学びプラスにしていく
例えば、出来なかった、失敗した、誤りがあった… そんな状況は誰にだって起こり得ることです。そんな時に自分のせい!と誰が原因かと責任を問うよりも、こうするほうが良かったよねと気づきや学びに転換していきませんか。
確かに原因があってのことですし、自分が至らなかったから、未熟だったから起きたことでもあるのでしょう。しかし、大事なことは責任追及に終わらず、そこから学びプラスにしていくこと。成長できる機会だと、前向きに捉えていけたら良いですね。気持ちもすぐに切り替えていけるようになりますよ。
あなたのせいばかりではありません
拝読させて頂きました。
あなたは自分のできなかったことは自己責任があると自分の責任を問われるのではないかと思い辛くなってしまうのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたが思う「何かが出来なかったのは誰のせいでもない=自分のせい」ということはないと私は思います。
ものごとは様々な巡り合わせや原因や条件やタイミングによって変わってくるものです。どんなに自分が頑張ったり苦労したことでもうまくいかないこともありますし、思った通りの結果を得られないこともあります。
それは様々なことが関わり合っています、ですから自分だけの責任ということはないと私は思います。
様々な要因がありその中で自分ができることをできる範囲でやっていけば宜しいのですし、自分だけでなく多くの方々と一緒に様々な方法や手段をもちいてものごとを進めていけばいいと思います。その中でいろんなかかわりを持っていく中で自ずと結果は現れてくるのです。まして努力したことも頑張ったことも決してムダなことではありませんし、次へとつながっていくことですからね。
ですから決して自分のことを責めないで下さいね、自分がダメだとおとしめないで下さいね。
あなたが自分のせいだと責めることなく多くの方々とお互いに助け合い思いを分かち合いこれからもあなたのできることをできる範囲でがんばっていくことできます様に、そして皆さんと充実した人生を歩んでいくことできます様に心からお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援させて頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
お言葉ありがとうございます。
相談できる相手もおらずずっとモヤモヤしていましたが、自分とは違う考え方に触れることができ視野を広げられました。
自分が出来る範囲で頑張ること、それが報われなかったとしても次に繋げる糧にすること、どちらも心に留めます。



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◆こちらから、無理に聞き出すことは致しません。
言いにくいこと、言えない気持ちも大切にします。あなたのお気持ちのままに、ゆっくり待ちながら、その気持ちを大切に受け止めたいと思っています。
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