完璧主義な性格と仏教との向き合い方
こんにちは。私は現在、浄土真宗の教義を勉強中の者です。
精神的に不安定な日が続いていましたが、お寺や仏教とのご縁ができたことで、少しずつ落ち着いてきました。家に仏壇はありませんが、基本的に1日2回、YouTubeのお坊さんの動画に合わせて、お正信偈と和讃をあげております。また、YouTubeでお説法に触れるなど、仏教のお勉強をしています。
ただ、最近は、「唱えなければならない」「お説法を聴かなければならない」というプレッシャーを感じ始めているような気がしています。それが少し自分を苦しくさせているような気もしています。
根底にあるのは、自分の完璧主義な性格ではないかと思っています。もう少し自分を許して、「唱える回数が減ることがあっても良い」「勉強できない日があっても良い」と思えたらいいなとは思ってはいますが、お勤めや勉強も自分の性格や実態に合わせたペースで大丈夫なのでしょうか。
何かお知恵をご教示頂けたらと思います。お願いします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「聖道門」と「浄土門」を理解していく。
拝読させていただきました。
私は真言宗なので仏教といえども教義は多少なりとも異なります。
まず、日本仏教には大きく2つ分けて考えると「聖道門」と「浄土門」に分類されます。
・聖道門では自らの力で悟りを開く
・浄土門では他力により悟りを開く
上記2つの違いは↑簡易も簡易的に書いています。
いわゆる人間には「やる気」というものが時に生じます。しかし、時間が経つにつれてヤル気がなくなったなど諦めることもあります。また違う目的が見つかれば違う目的にヤル気を出していくこともしばしばです。
ぼーさんは、真宗を目指していることから教義は異なりますが、聖道門である自らやらなけらば道が開けないという意識があり、そこが「完璧主義」と自己暗示となり少し心を締め付けているところがあるのでしょう。
▪️やる気(仏教では菩提心)には↓
4つに分類されると『瑜伽師地論』の「発心品」第二に、このように説きます。
①自力
②他力
③因力
④加行力
に分類します。
この①自力と③の因力は、不退転というヤル気を後退させない力であり、②他力と④加行力では自発的でないことから、退転させていく力となると説きます。
すこし本格的な仏教の教理の一面より説かせていただいてますので、難解と捉えることもあるかもです。
私たちは完璧主義といえども、それは自身の知る知識と経験の中で起こりうる想像の中での完璧であり、知識と経験を増していけば遥かに今の完璧主義を超越できることにつながります。
その完璧主義とは、どのような完璧主義的思考と思想なのであるのか?を自己分析することも必要であり、可能性というものは無限大でありますので、「疲れたらまずは一服」とあるように継続できる心構えをもって仏教に挑んでいくことが、自身の現時点に持つ完璧主義的と思っていることが楽にさせていくことでしょう。
受験や就活など、この日までに間に合わせなければならないという使命感があれば、事の成り行きや運び方は変わってきますが、もしそのような期日を迫られていなければゆっくりと焦らず継続していけるペース配分をもって仏の教えを学んでいくことが、真理という法を体得していくことができるでしょう。
良い僧侶を見据え、良い学びを修得し、良い人生にしていきましょう。
hasunohaに相談に来られることもひとつの他力なのです。いい事なのです。
合掌
質問者からのお礼
法源様
有難うございます。
本格的な仏教の知見から、ご助言を賜りました。嬉しいです。
そうですね、「疲れたらまずは一服」という心構えで、ゆっくりじっくり取り組んでいきたいと思います。
また、ご縁がございましたら、どうぞよろしくお願いいたします。