どうして幸せそうなの?
自分の事を酷く傷つけた人がいつも幸せそうにしていてモヤモヤしています。
そういう人は数え切れないですが特に一人います。
自分を傷つけたのに、いつも仲間と楽しそうに明るく生きています。
傷つけたことなんかなかったかのように。
できれば悩んだり反省したり不幸になってほしいですがなさそうです。
いつも仲間と仲良くしていれば、誰かを傷つけてもチャラになるのでしょうか?
忘れているのでしょうか?
なかったことになるのでしょうか?
個人的には最低な人だと思うのですが
理由があれば傷つけてもいいのでしょうか?
どうしてその人はいつもいつも自分より仲間と楽しそうにしているのでしょうか?
仲間と群れる才能があるのかなあ。
理不尽で気に入りません。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
トクメイさん
拝読させていただきました。
《自分の事を酷く傷つけた人がいつも幸せそうにしていてモヤモヤしています。》
確かに自分のことを傷つけた相手には倍返しどころか、3倍4倍にでもして仕返しをしたいぐらいですよね。ましてあれだけのことをしておいて、何事もなかったかのように楽しそうにしているのは理不尽な気がすると思います。
ただ、他人から傷つけられているのはトクメイさんだけではありません。生きている人すべてが何らかのかたちで誰かから傷つけられています。お釈迦様だって、他の名だたる高僧の方々だって大変な経験をされてきています。
例えば、お釈迦様は従兄弟のダイバダッタに殺されそうになりました。法然上人というお坊さんは親をひどいかたちで殺されています。しかし、どの方も仕返しをしなさいとは教えていません。むしろその辛い経験をバネにして、どうしたら世の中で困っている人を救えるかという道を求める生き方をされています。
仏教には「ご縁(えん)」という言葉があります。人との出会いや自分の身に起きるできごとは、仏さまからいただいたご縁によるものだという考え方です。自分がどんなに会いたいと思っている人でもご縁がなかったら会うことはできません。反対に、この人とずっと一緒にいたいと思っていてもご縁によっては別れなければならない時が来ます。
嫌なことだと思いますが、《自分の事を酷く傷つけた人》ともご縁があったから出会ったということです。もし、仏さまがトクメイさんにその人と出会うご縁を与えたのだとしたら、そこからその人を通して仏さまはどのようなメッセージを伝えようとしていると思われますか?
傷つけた相手の視点や仏さまの視点など自分以外の人の立場にも立ってみて、いろんな視点で考えてみられたら、この経験も自分に気づきを与える貴重な経験にしていけると思います。
もしよろしかったら、もう少し具体的にどのように自分の事を酷く傷つけたのかをここで相談されてみたらいかかでしょうか?いろんな視点をもらえると思います。ここなら匿名で投稿できますし、個人を特定されないような文章の書き方で構いません。
トクメイさんがこれからますます幸せになられることを願っております。
合掌
弱肉強食だから仕方ない
世の中は弱肉強食が基本ですから、フライドチキンの材料にされるニワトリ達や、蚊取り線香の犠牲になる蚊達から見たら、人間様達もさぞかし幸せそうに見えることでしょう。
幸せそうに笑っている人々から見たら、あなたも家畜や害虫なみにどうでも良い存在(罪悪感の外側)なのかもしれません。
それは、その人達の価値観ですから仕方ないのです。
弱者が残酷な強者から身を守るには、弱い者同士で団結するか、逃げたり隠れたりするテクニックを磨くしかないのです。
幸せそうな他人のことを気にしてもストレスの原因になるだけなので、自分自身の心の中にある悩み苦しみの原因(煩悩)とどう向き合うかが大切なのかもしれませんね。
質問者からのお礼
お二人ともありがとうございました