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割り切って生きてもいいのでしょうか回答受付中

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過去に自分が傷つけられたこと、逆に人を傷つけてしまったこと。傷つけられて過呼吸になるくらい泣いて悲しんだし、人を傷つけてしまった事実に食事を吐くほど悔やみました。

どうすれば良かったのかな、何がいけなかったのかな。グルグルずっと考えて生き着いた先が「しょうがない」でした。ある人が、理不尽なことをされたときどう対処するか聞かれていて「しょうがない、と言ってそれで終わらせる。引きずらない」と言っていました。

過去にあったことがフラッシュバックしたら、「しょうがない」と実践するとすぐに落ち着くようになりました。自分が傷つけられたことをしょうがない、と思うようになると、逆に自分が傷つけてしまったこともしょうがない、と思えるようになりました。何度責任の所在を考えてもどちらにも悪いところがあったし、相手も自分も責め続けて苦しむより、どちらも許した方が健全で生きやすいと思いました。

でも、本当にそれでいいのか…?と不安になります。
「自分はこんなにラクに生きていてはいけない。自分はまだ苦しみが足りてないのでは。自分はもっと裁かれるべき人間のはずだ。私はそれくらい酷いことをしたんだ。」
そう思うと自分にも相手にも平等に接していた天秤がグラグラ傾いて、
「相手を許してしまっていいのか。だって私を傷つけたんだ。許してしまったら自分が付けられた傷がなかったことになってしまうのではないか。私に傷つけられてもおかしくないくらい相手も私に酷いことをしたんだ。」
と、また相手を恨んでしまうループにハマってしまいます。
特に好きなことをしている時によくこの考えが出るので、好きなことをしてても苦しくなってきます。

どんなことも「しょうがない」と割り切って、人にも自分にも優しくなりたいのですが、まだまだ難しいです。
本当に、相手のことも自分のことも許して、割り切って生きてもいいのでしょうか。

最後まで読んでいただきありがとうございます。ご回答いただけたら幸いです。

2025年9月18日 0:18

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「しょうがない」で大丈夫

浄土宗を開いた法然さんは、
「十悪五逆という罪を犯した者でも極楽浄土に往生できると信じながら、小さな罪も犯さないようにと思いなさい」
と言われました。
阿弥陀仏は、私達がどんな罪を犯しても許して極楽浄土に迎えてくださる。
ただし、私達の罪を見れば嘆き、善行為を見れば喜ばれるのです。
過去の失敗や罪は「しょうがない」で大丈夫です。
次から気を付けて、未来の失敗や罪を減らすように気を付けましょう。
それでも、煩悩まみれの私達はまた失敗するでしょう。
そのときはまた「しょうがない」で大丈夫。
転んでも、起き上がればチャラです。
私達も前世では強盗や肉食動物に襲われたかもしれない。
前世で動物を殺したかもしれない。
前世の罪と同じだと思いましょう。

2025年9月18日 5:42
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

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