優しかった弟が自己中な人間になりました回答受付中
昔は怒られたらすぐに泣いて、人の悪口を聞くのが嫌いな繊細な子でした。
でも現在の弟(21歳)は、普通なら良心が邪魔してやらない行為を平気でやります。
弟は中学生のとき凄くお世話になった先生と、卒業のときメールアドレスを交換して近況報告などをしていました。
ですが18歳のときナニカのキッカケで「電話をかけたらまず名乗りなさい」と軽く叱られたのが鬱陶しくてメルアド変更して放置しています。
それ以外にも小学生からの友人を「あいつ暑苦しいから無理」とラインをブロックして絶縁しています。
また、私たちの両親や祖父母は、昔から過干渉な人らだったので、それが嫌だったのか祖父母には「就活や就労に関すること全てに関わらない」という契約書を書かせて、遠方に住んでる父親は着拒して放置してます。
それらが『常識から外れる行為』であることは理解しているのですが守る意識は薄いです。
弟は正論を言われたり叱られると、表面上は反省してるように見えても、あとから話を聞くとなんとも思ってなくて「めんどくさかった」と平気で言います。
一応、叱責されることは不快らしいのですが、異様なほど自分を責めません。
ただ弟曰く「学校や就活に関する人間関係は慎重に扱ってる、こんな対応するのはプライベートだけ」と言っています。
私が知らないだけの可能性もありますが、おそらくこれは本当です。
部活で弟のクラスメイトに話を聞くと「〇〇(弟)くんは親切で優しい」と言っていました。
家でも外でも「弟の友人関係にいざこざがあった」みたいなことは聞いたことありません。
そして妙に倫理的なところがあります。
「人を傷付ける発言はセンスやユーモアがあろうが、ただの罵倒」とか
「身体的な特徴や属性をイジるのは下品」とか
「趣味嗜好や思想は自由」みたいなことをサラッと言います。
弟は嫌いな相手の悪口を言うときも「身体的特徴」や「社会的な属性(無職など)」を貶すことはありません。
そんな感性があって恩師や友人にあんな対応をするのか理解できません。
何故こんな良心の呵責がない人間に育ったのでしょうか?
弟に対する印象だけでもいいので、教えていただけると幸いです。
お坊さんからの回答 2件
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そっとさりげなく見守る
今そういう時期なのでしょう。通過点ですよ。自分の思った通りにやってみたい時期なんだと思います。自分の責任の中で色々発散させたいのでしょう。
一通り発散させたら落ち着いてくるでしょう。
もう二十歳過ぎたら大人ですから。任せましょう。信じましょう。
「嫌われる勇気」?SNS世代、○○終い
アドラー心理学の関連本で「嫌われる勇気」という言葉が多くの人に刺さったと思われます。(もちろん、本来のその言葉は単なる自己中を推奨してはいないでしょうけど。)
弟さんがアドラー心理学を知っているかは別として、弟さんは、自分の幸せのために八方美人な生き方を意識的に止めている可能性もありますね。
また、若い頃からSNSが当たり前にある世代では、「ブロック」という行為に抵抗感がない可能性もあります。
また、中高年の人であっても「年賀状終い」「墓終い」(お寺の檀家も辞める)、町内会(自治会)からも脱会する等、過去にお世話になった人々との関係や、現にお世話になっているコミュニティからの「1ぬけた」も増えています。
また、脳の性質上サイコパスな人も少数ですが世の中にはいますね。
昨今の政治の世界では、お世話になっている人への恩返しも「しがらみ」「既得権益」と揶揄されるし、「裏金」なんかも昔なら見逃されるのが「常識」(社会の潤滑油)だったのかもしれません。
弟さんは、しがらみや常識に囚われず改革を実現する才能があるのかも知れませんし、弟さん自身もそのような生き方を意識的にやっている可能性もあります。
いずれにせよ、過去の「常識」、日本人の「常識」が通用しない時代になってきたのかもしれませんね。