善い人でいたいです
非常識な人、まともに付き合うと疲れてしまう人が近くにいます。付き合う余裕はないし距離を置くこともできないので、あえて冷たい態度をとったり適当にあしらったりしてやり過ごしているのですが、後から「もっと別の方法があっただろうか」と考えてしまい自己嫌悪に陥ります。
また、善い人(理想の自分)であろうと思うのに、客観的に見たら私はすごく冷たい、人情のない人に見えるだろうと想像して、なぜこの人のために自分が善い人の枠から外れなければならないのだろうという、悲しみと怒りが強く湧いてきます。
善い人でいたいです。私は傲慢でしょうか。どうしたらいいでしょうか。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人に振り回されない。取り繕わず、善い人基準は自分で決める。
「理想の自分」があるのですね。あなたが描く理想がどんなものかわかりませんけれど、他人の判断なんて他人目線(他人の都合)なのですよ。どんなに尽くしても、他人の評価は分かれるものです。あなたの理想を守るのであれば、他人に振り回されないことですよ。
非常識な人、疲れる人に対しても、「私はこうである」を通せばいい。取り繕わず、善い人基準は自分で決める。それでいいのです。
あなたの出来る範囲で善き行いを心掛けましょう
拝読させて頂きました。
あなたは誰からも善い人として見られたい認められていたいと願っているのでしょうね。
しかしあなたの身近に非常識な人や真面目に付き合うと疲れてしまう人がいて、冷たい態度をとったり適当にあしらって、後からもっと別の方法があったのではないかと悩んでしまって自己嫌悪におちいってしまうのですね。詳細なあなたのことや周りの方々のことはわからないですけれど、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
私達は生身の人間ですから全ての方々に合わせて善くふるまうことはできません。私達は完璧ではありませんし、様々な個性もあり相性もあり、考え方や価値観がそれぞれにありますし、好き嫌いもありますからね。ですから合わない方々もいて当然なのです。
あなたがおっしゃる様な非常識な方々もいますし、他者を平気で振り回してくる人もいるのですし、他者を傷つけたり奪ったり利用してくる人もいるのです。
ですから全てに付き合って合わせるにしても限界があります。ですので適度に距離を置いて付き合うことも必要ですし、災いをなす方ならば悪縁ですから縁を切ることもあっていいのです。一切かかわりを持たない選択肢もあるのです。
あなたが善く生きようとなさるのであれば、あなたの出来る範囲で無理のない程度でいいと思います。でないとあなた自身疲れ果てて持たなくなってしまいますからね。
ですからあなたの出来る範囲で善き考えを持ち、善き言葉を使い、善き行いをなさっていきましょう。継続は力なりです。
あなたがあなたの出来る範囲で善き行いを心掛け、皆さんとお互いのことを大切に尊重し合い助け合い、与えられた時間や命や人生を健やかに豊かに生き抜いていかれます様に切に神仏やご先祖様に祈っております。至心合掌
そしてあなたを心より応援させ頂きます。
善きことをせよ。
こんにちは。私からの回答「善きことをせよ」、「善き人でいる」との違いはお感じになるのではないかと思います。
仏教のお勧めは、前者です。「善き人でいなさい」とは言わないのです。これ、あなたの理想とは異なりますが、人間の実態を見ると、こちらの認識に立つ方が正確だと思いませんか?
生きる為の理想を掲げることは大切ですが、あなたもお気づきのように、そして実際おきているように、その理想が「無理」だと、他人を責めたりする結果に陥るのです。であれば…
理想を少し現実的にアレンジしてはどうでしょうか?「できるときには、善きことをする人間であろう」と。言葉のアヤのように感じるかも知れませんが、人間観からして異なるのです。「人間は、善い願いを持っても、それをやりきれないことがある。善いと思ってしたことでも、悪い結果になることもある。人間とはそういうものだ。しかしその中で、せめて自分なりに善いと思えることを、都度判断しながら行っていこう」…これは「凡夫である自覚の元の生き方」となります。
それは同時に、「すまないねぇ、ごめんね」を言っていく人生でもあります。自分の限界をわきまえている、そこから生じる言葉です。そして、「ありがとう+ごめんね+どういたしまして」で生きていく。その方が自然であると考えますよ。
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ありません。
Kousyo Kuuyo Azuma 様
「出来る範囲で善き考えを持ち、善き言葉を使い、善き行う」のお言葉に少し気持ちが楽になりました。継続することの難しさを感じながら、日々少しずつ頑張ろうと思います。
中田 三恵 様
誰にでも優しく冷静であるのが理想なのですが、それが上手くできず悩んでしまうのです。しかし、時には「私はこうである」を貫くことも必要なのかもしれません。大変勉強になりました。
佐藤良文 様
「善き人でいる」と「善きことをせよ」の違いにハッとさせられました。自分には凡夫である自覚が足りず、やはり傲慢だったのかもしれません。大変心に残るお言葉でした。
皆さま、ありがとうございました。